コロナウイルスCOVID19後の世界を考える Before Corona, B.C. and After Corona, A.C.

どこを見ても新型コロナウイルスの話題ばかりだ。イランとアメリカの対立や、自動運転が語られたり論じられたりすることがなくなった。その割に、コロナウイルスCOVID-19への対策や社会的な困窮が伝えられる。

そこで、ちょうど歴史家ユヴァル・ハラリが行ったように(1)、この感染症が長期的にどのような影響を与えるのか、また与えないのかを考えてみたい。彼のような才人を真似するつもりは毛頭ないが、私自身は、この感染症は社会を大きく変えてゆくだろうと思う。コロナウイルス以前をBC(before coronavirus)、以後をAC(after coronavirus)と呼びたいほどである。

社会変容が「予想」という形になるのは致し方ない。厳密でアカデミックな行為ではない。ただし予想が実際のプランに影響を与え、社会を変えることは、疾病や戦争のあとでは必ず起きることである。また今後を考えることは、大規模な疾病の流行や戦争の最中に構想されてゆくものだ。一介の研究者の予想が影響を与えるとは思えないが。

以下、次の順番で提示してみたい。まず国際関係と国内政治に関係する部分。そしてライヴや対面的コミュニケーションと仮想的コミュニケーションの関係。最後に経済の今後。このような順番で考えたい。

国際協調とナショナリズム

感染症は、国際協調を要求する。最近のSARSやエボラウイルスのような感染症epidemicは、一国だけで取る手段は限られた。SARSの場合は中国広東省から拡散し、特に香港で広がった。現在のようなグローバル化社会の中では、飛行機、クルーズ船、貨物船を媒介にして、疾病はあっという間に広がる。また人の行き来はどのような奥地であろうと行われるので、アマゾンのヤノマミ族までが感染するのである。

ここからわかることは、自国の感染者を減らそうとしたら、他国の感染者を減らす、少なくとも増えなくするための情報提供や政策は必須だということになる。

「鎖国」や国境閉鎖は効果がないわけではないが、そのことは、国境を開くと一気に感染者の増加を引き起こす。先週(「2020年4月19日の週)、中国では80人程度の感染者が日々発生していたが、その8割はロシアからの入国者であった。ロシアはCOVID-19がまさにいま猖獗を極めている。

しかし、そのような国際協調を取りにくい面もある。防護服やマスクやシールドは、世界的に需要が高まっているので、自国だけはなんとか入手しようとする政府は出てくる。この自国中心主義は、物資の供給量を増やすので、短期的なもので止まるはずだ。このような点を除けば、治療法や薬剤の共有や医療従事者の交流を含めた協調行動が終息を早める。

地方自治体

今回、感染症では自治体の対応が重要だということがはっきりした。

まずアメリカを見てみよう。アメリカではトランプ大統領が新型コロナウイルスに対して、年初では楽観的な見方をしていた。その後、死者数を30万人程度と見積もる予測を発表したが、さらにその後には「消毒液を注射するとよい」とか、ロックダウン(都市封鎖)を行う民主党系州知事への攻撃を行うなど、発言内容は二転三転した。

私個人はニューヨークに注目していた。この街は人口が密集し、また多文化な都市であり、どの程度感染症が広がるのを防げるかの指標になるからだ。

結果としては、現在はピークアウトしたが、本日4月26日現在、16,000人以上のもの死者を出している。

ここで活躍したのは、ニューヨーク市長のデブラシオ氏と、クオモ州知事である。この2人は毎日のように記者会見を行い、現状を細部にわたり告知した。今後どのようになりそうかデータを示し、封鎖を行わないとどうなるかと比較しつつ、細かな情報の提供で市民から不安を取り除き、都市封鎖の合理性を理解してもらう場を作った。市民にはある種の結束が生まれた。地域を理解している人がリーダーシップを発揮することで、医療崩壊(病院側に新たな救急患者を受け入れる余裕がなくなること)を回避した。

日本では北海道知事である鈴木直道氏が、真っ先に「緊急事態宣言」を出した。札幌を中心に感染が拡大したからである。都の職員時代に福祉保健局勤務だったこともあり、状況判断は正確であった。また政府より先に休業要請を受け入れた事業者に支援金を出すことを決定(4月22日)。それより早く札幌市や函館市が支援金支給を決めているので、業者によっては計30万円が給付されることになった。

また福岡市は4月14日、福岡県に先立ち、賃料助成や飲食店支援策を出した(2)その2日後には北九州市が、休業をしたお店の店舗賃料8割支援といった政策を出している(3)

こういう例は、まだまだあるが(東京都もそうだ)、特徴として中央政府よりもスピードがより速いところにある。政府は「スピード感を持って」と口を揃えるが、実際に「スピード」があるのは地方自治体であった。さらに、いま霞ヶ関や政治家がソーシャル・メディア内の見解やその動向を気にしていることが観察される。Twitterデモクラシーとでも呼べる状況が生まれている。

ライヴとストリーミング リアルとヴァーチャルの併用

舞台芸術の享受や教育の方法が驚くほど変わってしまった。
たとえばオペラやクラシック、テクノやエッジハウスの音楽の「ライヴ」がYouTubeやインスタのライヴを使って流れてくる。世界のさまざまな地域の人たちのコメントや絵文字が次々にコメント欄を通過してゆくのを見ると、「体験を同時に共有しているのだな」という感覚に支配され、実際にスタジアムや野外ステージにいるのに近い、錯覚という側面はあるにせよ経験ができる。
同じことは、Zoomを使った遠隔授業においても起きる。私の講義を聞いてくれている生徒や学生の表情がよくわかるので、私の話す内容や資料に反応してくれているのも「ライヴ」で実感できる。

BC時代であれば、教室という現場にいて対面で授業を受け、またライヴ会場にいるのがあくまで主であって、音質や画像に劣るストリーミングや、DVD、ブルーレイが、「生」のものを補うサブ・メディアとして認識されていた。
そこには距離physical distanceがあった。生のものは録音録画によっては再現されえないものと考えられていた。

しかし、いま、社会的にも物理的にも距離を取ることが指示され、場合によっては距離が近いとフランスのように罰則が加わることで、このサブ・メディアが主に躍り出た。仕事、飲み会、大学教育、これらが突然ZoomやMeetの多分割画面で経験されるようになった。そしてその経験は多くの人の予想以上に機能した。

ITを使った仮想的な会議や講義は、仮想であるがゆえに、発言や理解の度合いを上げている。参加者全員の表情が細かく映るので、誰がどの程度真剣に取り組んでいるかがスクリーンでいままでになく明確になってしまうのだ。この相互の「監視」と、リアルに人前で起きていないということから、発言なり見解を述べるインセンティヴは上がっている。

動画配信サイトを使った会議や打ち合わせ、講義はもはやなくならないだろう。たとえば大教室であれば、リアルな授業の中でZoomが使われて、質問を受けたり、ファイルを一斉に配ったりということが可能になる。後に戻ることはないだろう。教育は対面だけが優れているという考えは滅びてゆく。

社会や都市の変動

いままで人は都市に集まり、そこで話し合ったり、授業を聴いたり、スタジアムに行って、試合を見たりした。なぜだろうか。これは人対人が人間関係ではベストであり、それ以外は補助的手段に過ぎないという考え方からだ。

それが上述のように壊れつつあるとすれば、いままでのように都市の郊外に住み、高い賃貸料やローンを組んで、通勤通学をする必要がなくなってしまう。大阪なら、六甲近郊にいても、また東京なら千葉県館山市に住んでも、仕事はできるし教育も受けられる(4)

これは都市の構造や地価に決定的な影響を与えるだろう。とくに5G(次世代通信規格)が広がり、さらに自動運転がサブスクでできるようになると、都市部でのさまざまなコストに耐える必要はなくなる。それでも都市部に住むことで得られる情報や、対面のコミュニケーションは重要にはなる。むしろ希であるから貴重なことになるかもしれない。だが、熱海市の温泉付き賃貸に住むと、生活費は下がり、気候は温暖で、自然を楽しむことも容易になる。もちろん災害のリスクはあるのだが、生活費の低下は貯蓄に影響する。

スーツを着たり、ハイヒールを履く機会は減る。外食よりも取り寄せや自宅で料理を作るようになる。長時間の通勤がなくなれば、新たな時間も捻出できる。それでも東京、大阪、名古屋、福岡に人は住むだろう。しかし、その数はだいぶ減るのではないか。

自動運転と交通システムの利用率の低下は、経済を根底から変える。土地所有の形も変化させる。すぐに起きるかどうかは別だが、少なくとも、労働と教育の方法は変わった。新しい労働法や教育基本法が必要になるだろう。

(1)ユヴァル・ノア・ハラリ『コロナウイルス後の世界』。もともとはFTに出た記事
   http://web.kawade.co.jp/bungei/3473/
(2)毎日新聞電子版、4月14日付参照
(3)西日本新聞、4月16日付参照
(4)生産性が向上するのかどうかは、懐疑的な議論が多い。しかし、仕事や学習の方法が
   改善されれば、上昇するのではないか。

(以上、田中公一朗記)

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香港と米中戦争Hong Kong and New Cold War

香港は米中「戦争」の中心部分だ。そして香港は徐々に選択肢を狭められつつある。

ここまでの簡略な経緯

まず香港返還、反中国系の書店への干渉や圧迫、そして逃亡犯条例に反対する大規模デモ。最近の選挙での民主派の大勝、こういう順序でわかりやすく説明してゆこう。

香港は、英国植民地返還で中国の「特別行政区」という位置づけに変わり、一国二制度を採用している。独自の通貨(香港ドル)を持ち、司法と立法が香港の制度の元で行われる。立法会(トップ画像が立法会)と呼ばれる立法組織はデモクラシー的で、香港市民が投票で選ぶ。1997年の返還後50年間、つまり2047年まで香港(とマカオ)がこの制度を続けることが中英間で合意された。

ところが、中国がこの流れに抗する行動を取り始めた。民主化や「反中国」の傾向が強い書店の店長が長期間行方不明になり、中国本土で発見される事件が相次いだ。これが2015年から2016年の初めのことである。よく知られているのは銅鑼湾(コーズウェイベイ)書店店主の失踪だ。この事件も含めて、中国当局が関与しているのが明確になり国際的な問題になった。

そして今年2019年3月になって、香港は新たな局面を迎えた。中国政府が逃亡犯条例の改正を主張し始めたのだ。香港の政治のトップ、行政長官は事実上中国政府が選べ、現長官は林鄭月娥氏である。改正内容は、香港警察が刑事事件の容疑者を確保した場合に、その容疑者の身柄を中国本土に移送extraditionできるようにするものである。

この案に反対した大規模なデモが何度も起きた。とくに6月には100万人が香港中心部の路面を埋め尽くし、香港の政治的な主体性を奪う法律に反対である強い姿勢を見せた。これは雨傘運動の流れがさらに広がったものと言える。雨傘運動とは、2014年に行政長官の決定方法を中国の意向に添うように改変しようとしたことに対する、学生の授業ボイコット運動だ。

香港政府と市民の間での政治的な不安定さは、経済を直撃し、香港のハンセン指数は2016年初めには20,000ポイントの大台を切り、現在も不安定な動きを続けている。GDPは2019年第3四半期の成長率がマイナスに転じた(前年度同月比でマイナス2.9%、注1)。

そして11月の香港区議会議員選挙は、驚くべき結果になった。投票率は71.2%と香港史上最高で、親政府派の大敗に終わり、民主派(ほぼ反中国派)が80%を越えた議席を獲得した。もっとも香港は小選挙区制で、民主派への投票は約60%であるが、それでも事前の予想を大幅に覆した。

ここまでをまとめると、北京からの「圧」が強く、香港の市民の差し迫った危機感が続き、それが選挙結果や土日に行われるデモとして現れたといえる。

香港の自由が制限されたら、それはもはや香港ではなく、中国大陸の制限的自由となにも変わらなくなる。

そしてここにアメリカが関与する。世界の警察官は辞めたが、覇権国であることは辞めないとでもいうように。アメリカ上下両院は「香港の人権と民主主義の確立を支援する法案」を可決(11月20日)、ドナルド・トランプ大統領はこの法案に署名(11月27日)。アメリカ政府が香港デモをバックアップしたことになる。

この署名に対し、中国外務省(外交部)は直ちに「香港行政と中国の内政に干渉」であり「あからさまな覇権行為」であると非難。

そして12月8日、100万人デモから半年が経過し再び80万人が街頭に立った。香港の人口は750万人なのでいかに多くの人々が直接に関与しているのが明白だろう。

これで香港がなぜ「米中戦争」の中心なのか、わかっていただけたと思う。

香港は、デモクラシー、自治(民族自決self-determination)というアメリカの基本的価値と、共産党一党支配、腐敗撲滅、強権的政治という中国習近平政権の基本的価値との対立の場になっているのだ。

香港、立法会入り口。関係者でも簡単には入れない(2019年12月、筆者撮影、以下同じ)

今後の香港と米中これからどうなりそうか

アメリカと中国は、ペンス副大統領が2017年末に述べたように「冷戦」に突入した。関税引き上げで競い、またハーウェイなどハイテク企業・産業に対して規制をかけた。これは経済的な問題での戦いである。この戦いはまだ続くであろう。ゲーム理論で言う典型的チキンゲームになっているので、米中ともに引くに引けないからだ。

そして次に来るのが資本の規制だ。すでにアメリカ議会の諮問機関が報告書で、「情報開示」が不十分な中国企業は株式市場で「上場廃止」を可能にする法案を提案している。

ここから先は予想になるので正確性は低いが、想定できることを記してみよう。

上記の法案が現実化すると、米中間の冷戦は資本市場での戦いという次の段階に進み、より一層激しくなる。日本企業はこのような動きに備えたほうがいいかもしれない。米中どちらかに偏った取引をしている企業にはリスクが大きいだろう。欧州市場やインド市場にアクセスすることもいままで以上に重要になろう。東南アジア各国は、米中のどちらのサイドに立つのか、いま以上に決めなければならなくなる。オーストラリアはすでに中国に引っ張られている。

そしてもしこの「新冷戦」がよりエスカレートするとするなら、基軸通貨の争いに向かうであろう。いま米ドルが果たしている役割を中国元が担おうとするということだ。

実際に、中国はアメリカの財務省証券の購入量を減らしている。アメリカ政府の負債を請け負っているのだが、それをやめ始めている。

中国が、一帯一路(BRI)で行っているような包括的な政策を、国際社会で行うとしたら、新しい経済的なインフラ、つまり国際的経済制度を作ろうとすると思われる。現在の国家資本主義では、大規模なバブル崩壊が10年に一度程度起き、その都度政府は民間企業を助け、経済格差が広がる。リーマン・ショックを起こしたのはアメリカ的資本主義(とイギリス)だが、中国もたいへんな痛手を負った。こうなると新しい経済制度が必要はないとはいえない。

ここで中国人民銀行がすでに制度設計を終えた「デジタル人民元」制度(2019年12月3日付、日本経済新聞)を、中国国内からはじめて、グローバルに拡張しようとするかもしれない。
(おわり)

参考文献:
Jetro:
https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/11/a6b498978cb992f9.html

日経新聞、2019年12月3日:
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO52853220S9A201C1EA2000?type=my#IAAUAgAAMA

市民が主張する五大要求の落書き。人々が手を携えている。ジョン・レノンの名前を取って、レノン・ウォールと呼ばれる場所

「日本人」, EDM系PVの場合   How do PVs Describe “Japanese”?

PVは、一般の視聴者用に丹念に作られた映像であり、アート方向に偏り過ぎることがない。だからその時代の特徴を捉えた作品になりやすい。2018年秋以降、東京を舞台にしたPV、とくにEDM系PVがいくつかまとめて出てきたので比較してみたい。どれも再生回数は100万を優に越えている。

ここに貼ったものは、例外はあるが北アメリカ系のDJ、ミュージシャンのものなので、日本人をどう見ているか、またどのように表現することで「日本」らしい誰かだと理解させられるかを考えているかが推定できる。一般的に「日本人」の観点からだとこういうPVは奇妙でエキゾチックに見えることが多い。そして「日本人」を日常のように正確に描写していると「日本人」は自らを奇抜だと殊更に把握する。

アジア人、とくにここでは「日本人」だが、これはセシル・B・デミル監督『チート』の主演早川雪洲から連綿と続く日本人表象の流れではあるが、長くなるので、ここ数ヶ月だけを見てみよう。

まず、カナダ系のショーン・メンデスとゼッドZeddの「Lost in Japan」

君がいるホテルに飛んでいきたい、という願いがストレートに歌われている歌詞だ

PVの元ネタは、ソフィア・コッポラ監督の「Lost in Translation」でこのフレーズ自体が英語圏で定着、いまでも雑誌の文章などにしばしば顔を出す。
新宿東口の映像を加工した動画を使用し、パークハイアットのエレベーター・シーンを再現しているが、この撮影は日本では行われていない。アメリカで日本を模倣・再現している。初めの部分で駐車場が映り込んでいるが、こういうパーキングは日本にはない。

登場する「日本人」は、ソフィア・コッポラの「日本人」とは異なり、会話もすれば、感情表現もする人たちとして描かれている。これが撮影シーン:

またソフィア・コッポラの元ネタ、トレーラーはこちら。2003年公開映画です。スカーレット・ヨハンソンが、マーヴェルの一員になるはるか以前、a long long time agoです(笑)


さて次に、最近来日したJonas Blue(ジョナス・ブルー)。この人はイギリス系だが、おそらくアラブ系の出自ではないかと思われる。曲は「We Could Go Back」

この曲は、「僕たちはやり直せたのじゃないか」という後悔が歌詞に率直に書かれている曲で、ギターのリフが印象的な佳曲。
PVは、お台場、ゆりかもめ、虎ノ門、東京駅丸の内口、新宿東口、裏原宿といった「定番」をロケーションで撮影。コレオグラフィーが映像に変化を与えていて、色彩もカラフルだ。ここで出てくる「日本人」のイメージは、日本を異文化として経験する人たちからの視点の「日本人」でしょう。しかし、「日本人」にも、この裏原で出てくる衣装の人もいる。確実にいる。つまり日本人の文化的な境界はいま曖昧になっていると言えそうだ。

さて最後、これも最近来日したばかりのW&WとArmin van Buurenの共作のPVです。曲名は「Ready to Rave」で、意図的にraveというジャンル名を使っているのが気になります。こちらは「日本」の先端的なイメージと上海とドバイらしき都市のイメージが繋がっています。ひらがなと漢字の混交が、新しさを感じさせるのか、これは上記の「Lost in Japan」でも見られる傾向です。

このように東京や大阪らしい光景をプロモーション・ヴィデオPVに入れ込むのは、昨日今日始まったことではなく、ポーター・ロビンソンやポップスですが復活したアヴリル・ラヴィーンなどでもそうですし、中田ヤスタカなども東京をテーマにしたPVが何本かあります。

こうやって見てみると、メガロポリス東京のイメージはすでに一人歩きし、「実際の東京」とは別の、映画「ブレードランナー」を体現している場所、それがリアルな「東京」という位置付けに完全になったのだろう。
東京人は外見ではその意思を表情に出さず、あるとき突如動き出し、一方ふだんは会話もしないというイメージだけが生産、コピーされる。そういった行動が、未来的なものを東京を通して提示していると見られているのだろう。(この項おわり)

「リベラル・アーツ講座」 第2回を 開催します

前回は、開催日2日前に予想外の定員となり、たいへんありがとうございました。

さて今回は
「20世紀ファッション史と政治」
というテーマを選んでみました。スキャパレリからシャネル、ディオールといった服飾の変化は社会の変化とつながっています。また戦争や政治の影響もあります。それを追ってみましょう。美しい服の画像をたくさん見てもらおうと思います。
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この講座の趣旨は、こちらをご覧ください!
https://thefuturenews2.com/2017/10/18/%E3%80%8C%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%80%8D%E3%82%92%E9%96%8B%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99/

リベラル・アーツ講座概要
2017年2月13日(火曜日)、日本橋浜町Hama House 2F
19:00〜21:00(18:45から会場受付)
講座費、3,000円(食事、1ドリンク付き、税込、当日支払い)
定員12名限定。
条件:リベラル・アーツに関心があるあらゆる人
なお事前に予習範囲が出ます。今回は文庫本一冊←今回は予習なしにしました。

場所、URL:
東京都中央区日本橋浜町3-10-6 Hama House
URL: http://hamacho.jp/hamahouse/

申し込み:お名前、年齢、性別、連絡先(携帯電話番号)、所属(簡単にで構いません)を書いていただき、crowtanaka@gmail.com までメールをくださいませ。確認のメールを追ってお送りいたします。

アクセス:東京メトロ、半蔵門線、水天宮駅から徒歩約6分。出口5からが便利です。浜町駅からもほぼ同じ距離です。1階がカフェです。その中に入ってお問い合わせください。

講師プロフィール
田中 公一朗
国際政治研究者、音楽社会学者。 予備校講師。音楽プロデューサー。上智大学、駒澤大学非常勤講師。 著書に『マイルス・デイビス』(勁草書房)、 『あたらしい音楽の教科書』(プリグラ・パブリッシング、共著)など。論文も多数

「リベラル・アーツ講座」 を 開催します

「リベラル・アーツ講座」を開催します。
幅の広い教養が重視されているいまの時代。この時代に沿った講座を開設したいと思います。

リベラル・アーツは、中世のヨーロッパで生まれた考え方ですが、現在のリベラル・アーツは「実践知」としての意味が強いでしょう。つまり知的な興味だけではなく、実際になにかを実行する際や、また仕事や家事などといった日常でアイデアを出すときに有効になってゆく知的な要素です。

3年前に「リベラル・アーツ講座」をすでに5回開きました。そこで扱ったテーマは「チャーチルのダンケルク演説」「現代中国」「行動経済学」「デザイン思考」「新しい中世」です。私自身が講義準備で多忙になってしまい、いったん中断しましたが、余裕ができてきましたので、12月より再開します。

この講座では、様々なテーマを幅広く扱いたいので、関心があるテーマはもちろん、「関心が直接ないテーマ」にこそ出席していただきたいです。いままで関わりがないと思っていたことに興味関心、関わりがあることに必ず気がつくことでしょう。
たしかに、社会人入試や放送大学といった社会人用の大学制度が用意されています。それももちろん重要な働きを持っています。この講座ではさらに広域にわたる知識をもち、考えてゆく能力を高めたいと考えています。

元々は、私自身の予備校、塾時代の「教え子たち」が、また講義、授業をやってほしいと訴えてきました。それはもう7、8年前になります。それは30歳前後の男女数人から、ほぼ同時期に聞こえてきました。
社会人になると、なかなか本を読んだり、映画を見て、新しい知見や考え方に触れることが激減します。とくにいまの時代だと労働時間が長く、新書を読むのもむずかしくなってきます。そうなると大学時代に知ったことや身につけた考え方に頼るだけになり、30歳前後になると行き詰まってくる、こういう趣旨だったと思います。
その状況をなんとかしたいし、また少しはできるかもしれない、とりあえずやってみよう、と友人にも相談してみて初めてみました。

その際、念頭にあったことがあります。一方的な講義にならないようにしよう、そのためにはリラックスしたなかで、集中して議論できる環境にしよう、そして食事を摂りながら、飲める人はお酒も呑みながら議論や考えを勧められたら!と。美味しいものを食べながら、知的なこと何人かで考える、というのはまさに理想的な状況でしょう。そしてそれができる場所が見つかりました。

私一人ですべてを講義してゆくには限界があります。軌道に乗せて特定分野の講師も招聘したいと思います。

多くの場合に予習範囲が出ます。仕事をしながらでも読める短いものにします。最長でも新書1冊。それをベースに、「講義とディスカッション」という形にしましょう。やる気、意思がある人でしたら、どなたでも大歓迎です。

では、お待ちしています!!

リベラル・アーツ講座概要
2017年12月5日(火曜日)、日本橋浜町Hama House 2F
19:00〜21:00(18:45から会場受付)
講座費、3,000円(食事、1ドリンク付き、税込、当日支払い)
定員12名限定。
条件:リベラル・アーツに関心があるあらゆる人
今回のテーマ
映画のみかた 映画にセリフは不要だ? −−フィルム・スタディーズ入門
内容概略:映画を観る人は多いと思います。その際に、映像の質を監督やカメラマンの目線で見ると映画の理解度、意図が飛躍的に高まります。映画はストーリーも重要ですが、より重要なのは画面です。その画面がどのように出来上がっているか、それを学びます。写真にも通じることです。研究が進んでいるフィルム・スタディーズ(映画学)を参考にしながら、映像に関してのリテラシー、見抜く力を高めます。

場所、URL:
東京都中央区日本橋浜町3-10-6 Hama House
URL: http://hamacho.jp/hamahouse/

申し込み:お名前、年齢、性別、連絡先(携帯電話番号)、所属(簡単にで構いません)を書いていただき、crowtanaka@gmail.com までメールをください。お手数をおかけします。確認のメールを追ってお送りいたします。

アクセス:東京メトロ、半蔵門線、水天宮駅から徒歩約6分。出口5からが便利です。浜町駅からもほぼ同じ距離です。

講師プロフィール
田中 公一朗
国際政治研究者、音楽社会学者。 予備校講師。音楽プロデューサー。上智大学、駒澤大学非常勤講師。 著書に『マイルス・デイビス』(勁草書房)、 『あたらしい音楽の教科書』(プリグラ・パブリッシング、共著)など。論文も多数

Tokyo Embraces Wagner’s “Die Walküre” by Koichiro Tanaka

New National Theater spotted clear lights to the gigantic work of Richard Wagner’s signature, Die Walküre in Tokyo(October, 18, 2016).

As for the performance on the stage, the main characters are weil-thought and highly well-organized. Such as Stephen Gould (Siegmund), Greer Grimsley (Wotan), Irene Theorin (Brünnhilde), and Elena Zhidkova (Fricka). It constitutes some powerful Meistersingers in sufficient volume of voice. We know those singers, who might be taken for granted, it does not mean a good stage. Partly because this is the performance of 6th day of the work of this new production, I can clearly see the desire and love for power that each God has in their mind. Also acting eight Valkyries ensemble tightly. Those factors entitled a fine opera of Wagner.
spice-eplus
(C) Masahiko Teraji ( Eye catch picture also)

The success of the orchestra should and would have a special to mention. Tokyo Philharmonic Orchestra is not regarded as good at the pit of theater. But this time IS different. It became gradually good from the 1st day . The last day the tempo was rather fast that made orchestra’s parts fit.
Brass section blows strong sound that is indispensable for Wagner’ s. Contrabass works hard as well. It still does not remain anxious for the pitch, however, these two big points: brass and contrabass sections, two of the center of the ellipse, constructed “Der Ring” world.
T.W. Adorno wrote somewhere citing Richard Strauss that ” Der Ring des Nibelungen , every night has different orchestration,”. The Theater should aim to be so in the future.

The production of the 1990s of Goetz Friedrich looks old. Half-baked simple. High-tech-at-that-time reminds us of old style stage. But let me think about this. Old-fashioned production of this opera draws attention to the conflicts of Gods just we have got to see the singers. This in turn makes audience watch the drama itself. It works very good.

“Der Ring des Nibelungen” sets to perform next year “Seignfried“ and “Götterdämmerung”. “Die Walküre” has already shown the bankruptcy of Gods that comes from pursuing the will for power. Terrible. When Gods perish from the world, human has nothing to rely on. And the bankrupcy is quite near.


highlights  from SPICE movie,
–Tanaka Koichiro

International Relations researcher, and musicologist. Lecturing at Sophia University, Tokyo

イギリス、EU離脱 Bye, Brits!!

離脱の原因

イギリス(United Kingdom)は、国民投票の結果、EUからの離脱の賛成票が反対票を上回った。離脱賛成leaveが51.9%、残留remainが48.1%という結果。僅差といえば僅差。

この結果を受けて、キャメロン首相は3ヶ月以内に辞任することを表明した。

これは充分ありえることだった。そして事実起きた。なぜだろうか。

まずポピュリズムがいちばん大きなファクターだろう。「イギリスに力を取り戻す」という頻繁に使われた表現がそのことを表している。

イギリスは、通貨はポンドを使いながら、政治的にはEUに入っている。個別の政策はEU委員会や、EU議会で決まってゆく。それはイギリス人にとってみれば望ましくない。
たとえば、移民や難民政策についても、イギリスだけで決定できず、EUの政策に合わせてゆく必要があった。
環境政策や、エネルギー、社会政策など、基本的にEUの枠組みに合致させることが必要なのだ。EUの官僚たちに対しての不満がここから生まれてくる。

EUは経済的には効率がよく、むしろイギリスには有利なのだが、EUに言いなりなのが、自主性や主体性の欠如に見えていた。誰にか? イギリスの中産階級からワーキングクラスにである。

実際、離脱に投票したのはこの階層だ。

よく指摘される、高齢者が離脱を投票し、若年層が残留に投票したという世代間の差もあるだろう。だが、より大きいのは、EUへの不満だ。

離脱によって、GDPは6%低下することが世界銀行から予想されているし、またそのことも知った上での投票なのだろう。数字よりも、そして経済よりも、主体性を取った。

そして、早速、スコットランドが「また国民投票をして、イギリスから離脱する」と表明している。独立した後はEUに加盟して、イギリス政府には従わず、「EUに入る恩恵の方を手にしたい」ということなのだ。EUと直接に関わりたいのだ。

ここから何が起きるか。イギリスからスコットランドと北アイルランドが独立し、現在のイギリス=UKは消滅。イングランドとウェールズだけが地域国家となる。

この「イギリス」の出来事が恐ろしいのは、【次】が控えているからだ。
オランダ、デンマーク、そしてフランス、イタリア、ギリシャ、スペインといった国家が、軒並み「離脱への道」を模索することだろう。
フランスならFrexit、北アイルランドならIrexitという造語がすでに作られている。

この「離脱」の動きは、は極右(フランスの政党「国民戦線」)や、極左(スペインの政党「ポデモス」)であろうがこの点では変わらない。

現状がより展開してゆくと、EUは縮小してゆくだろう。いますぐにではないが、20年後でもない。10年後でもない。

これはナショナリズムなのか?

結論から言うと、イギリスの場合は、ナショナリズムだけではないだろう。スコットランドの例で分かるように、自分たちの地区、地域、ローカルなものに力を取り戻したいのだ。ローカル主義と呼んでよさそうだ。

もちろん、ここに反グローバル化を旗に掲げる人もいるだろうが、それだけではない。また極右を除けばナショナリズム(国家主義)だけでもない。

ヨーロッパ内がより小さい組織になり、そして同時により大きな連合体に所属するという傾向は考えられるだろう。
経済的には、小国であればあるほど弱くなる。効率が悪いのだ。かといって、選択肢は持っておきたいので、EUのような巨大組織には入りたくない。「上からの決定」を回避したい。

「離脱」は新たな都市連合や、国家連合、安全保障上の連合や機構を生む可能性がある。むしろこれは新しい政治形態への可能性だ。

そういう意味では、ここ200年間続いてきた国民国家というシステムの限界が露呈したとも言える。

つまり、国民国家だと国家間で戦争が起きる。戦争防止のために超国家Supranationを作ったら、今日のように離脱が起きた。大きすぎるのだ。

ではまた国家の規模に戻すのか?
それは過去の経験上難しい。もはや民族自決を概念にした「多民族」国、国家の形成は、困難なのだ。

となると、従来型の国民国家、それと超国家、そしてローカル主義、この3つが存在することになる。そこに、都市の連合・連盟や国家連合が、まるで漁網のように多重に張られてゆくというのが今後30年だろう。

また今回、民主制も大きく傷ついた。このことも記しておきたい。イギリスの離脱は「国民投票」で決まったものだ。このような国民参加型の決定方法を採用しようとする地域が増えるだろう。

専門的で難しく、各種の要素を考慮すべきテーマを国民投票で決めていいのか、という疑問が出てくる。だが、「自分たちが関わった」というプロセスの方が重要なのだ。それが現在だ。

ビジネス

日本にも当然影響は大きい。世界経済の大失速は当然だが、日系企業はイギリスに約1,000社進出している。

イギリスをベースにして、そこからEUゾーンへ営業しているというのが通常だ。EU域内は関税はなく、また輸出入のチェックも不要だ。
そしてイギリス市場から、ドイツやフランス、スペインへ出てゆく拠点になっている。工場も多い。日産の工場はあるし、インド財閥のタタ・グループは、ジャガーを所有している。

これらの拠点をイギリスからEU内に動かさなければならない。UKからEUへの高い関税、非関税障壁、それはごめんだ。
では、例えばドイツに動かす? 英語は通じるとはいえ、ドイツ語は必須だ。手続きも煩雑ダ。スイスはあり得るが、そもそもEUではないし、物価が高すぎる。

また進出先の治安も考えなければならない。ヨーロッパはテロによって「戦場化」しつつある。

拠点設定の苦しい選択が必要になる。ヨーロッパから撤退する企業も出てくるだろう。まずはベルリン(地価が安い、英語が通じる)がよいかとは思われるが、日本からの直行便はない。新空港は未だに完成していない。

これは日本企業だけの問題ではなく、韓国、中国、アメリカ、インド企業にも同じことだ。イギリスが金融の入り口、エントランスになっていて、それが閉じてしまい、出口exitになったのが今日Brexitなのだ。

イギリスのEU離脱は起こるか Brexit, Possible?

ポピュリズム

EUではポピュリズムが渦巻いている。メイルストルム(=大きな渦)を起こす種類の妖怪specterである。
ポーランド、ハンガリー、オランダ、イタリア、フランスなどが、軒並みポピュリズム的な政党が強くなっているか、政権を取っている。極左から極右までありうるのが特徴だ。

デモクラシーはいろいろな意味で失調、不調が続いている。納税者は不満なのである。いったい何にか? それは「既成の政治家」に不満なのである。増税、緊縮財政、高い失業率、移民、難民問題。これをなんとかしてくれ!と考える。

そこで出てくるのが、過激な考え方を持つ、政治の「素人」だ。「難民は入れない」「この地域は独立する」「緊縮財政は採用しない」「社会保障は減額しない」「増税は回避する」

こういうマニフェストを出す素人政治家が舞台に登る。人気が出る。

「そうか、そういう新しい種類の政治家が登場してきたのなら支持しよう。投票所にも足を運ぼう」 こう新しく心に決める層が出てくる。

これがポピュリズムである。テクノクラートと従来の政治家によるデモクラシーでは、自分たちの考えを代表してくれていない。こう失望している人たちにとっての希望である。

しかし、もちろんこういう「素人」集団は、難民の排除を行ったり、人権を軽視する。従来の政治的な思想や枠組みでは決して支持できない思想の持ち主だ。

ここでドナルド・トランプ氏を想起しても良い。こういう背景のもとにトランプ氏は支持されている。

政治家は信用できない、だから、レファレンダム(国民投票)を!ということになる。

EU離脱?

この、ぐるぐると渦巻いている妖怪は、そうそう簡単に消せないだろう。デモクラシーは、時間がかかるが長期的には効率がいい、という「実感」を持たせるのが難しい。

この中で、UKの自立が問われている。EUによって、イギリスは自立できなくなった。こう思い込んでいる。移民や難民は、イギリスの制度を自由に使っていて、それはイギリス人には不利だとみなす。

そして、イギリスの離脱は、リーマンショック並みの大きな経済停滞を起こすだろう。

中国の現在 China Moving On

最近の中国の、特に軍の動きは展開が急だ。

いくつかの急所をポイント化してみよう。

・南シナ海島嶼部での利己的な行動
・インドとの領土問題の顕在化
・東アジア、特に日本の接続水域や領海への侵入

この動きは、これからさらに広がって行くと考えられる。

分析

上記3点の理由

①1つめとしては、中国は、新興国としていままでの国際的な体制に対抗して、新たな秩序を作ろうとしている点(たとえば「一帯一路」)が挙げられる。これは「反アメリカ」という形で現れやすい。現在の国際秩序は、主にアメリカが作成したゆえ。

②習近平政権が、「パナマ文章」をきっかけにやや脆弱になってきている。この弱さを補うために、中国共産党政府は、人民解放軍にやりたいようにやらせて、「反・習近平」にならないようにするだろう。

③中国共産党内部での権力闘争の中、習近平は「他国と協調」ではなく「中国の強さ」を出すように迫られている。

④中国経済を「新常態」と呼び、再定義。またバブル崩壊もなんとかしのいでいるものの、株価は下落傾向であり(上海A株)、地価も下がってきている。このことを考えると景気浮揚のために、軍事支出増加ということはあり得るし、実際に軍事費は増大している。

⑤中国のいくつもある弱点のうちの1つは、自然資源のなさだ。それを補うために、南シナ海を確保したい。また原油輸入のための東南アジアのタンカーの経路、いわゆるシーレーンの安全性も保ちたい。

こう考えると、人工の島を作り、海警(日本の海上保安庁にほぼ相当)を派遣し、海軍や空軍を強化するのは、当分止まらない動きだと考えるのが自然だろう。

また中国の「ネット民」(ネット世論)が中国の外交政策に影響を与えていることは知られている。ネットの中では、反米や反日的な言説はしばしば見られる。この言説への対策も必要になる。

今後の中国

今後の中国は、上記のことからからみれば、<軍事的な拡張路線>をとることはほぼ間違いないと言える。習近平政権は、ある種の「文化大革命」のような独裁的な状況すら持っている。そこで思想や方向性の統制も強くなってきている。たとえば香港のデモクラシーの抑圧や、香港の書店員の拉致と「思想教育」がその例である。

王毅外相との交渉ではなく(王毅外相には外交決定権は厳密にはない)、より共産党の中核との交渉を求め、東アジアで紛争が起きることが双方にとって、また地域にとって得なことがないことを説明すべきだろう。そして真に理解してもらうことだ。

また状況によっては、共産党にとっての不安、つまり共産党に対する革命(裏返しの「ブルジョワ革命」でもあるし「革命の革命」でもある)が起きないような知恵を与えることすら必要かもしれない。これは内政干渉ではもちろんないレベルで行われるべきであろう。

日本にとって軍事力強化も重要になってはくる。だが、それほど予算が避けるわけではなく、また周辺国に却って脅威になりかねない。まずは中国共産党の先鋭化を止めることで、日本の軍事力の重要度を下げることだ。とても難しいことだが、日清戦争、日中戦争の後の、第3次日中戦争を回避するには必須だろう。

田中公一朗記

AIについて

AI、人工知能に対しての楽観論があり、また一方では恐怖の感情が巻き起こっている。

AIが人間の能力を超えてゆくことをどう考えたらいいのだろうか?

一つは「人間の終わり」であり、これはヘーゲルやニーチェが唱えたヴァージョンが有名だろう。対立が終わることで、人間は実質的には終焉し、また同時に人間の歴史も終わる。あとは瑣末なこと以外はほとんどなにも起きない時代が来る。

ニーチェの場合は、人間という不完全なものではなく、永劫回帰を理解し、それに耐えられたものを「超人」(Ubermensch)と考える。

さて、人が持つ恐怖の一つは「自分の仕事をAIがやってしまう」ということだ。実際に現在も起きていると言える。AIの方が維持費が安ければ、企業はAIを使う。IBMのWATSONしかできないこともある。
現在の人工知能は、学習機能もあり、モンテカルロ法を使った検索で、将棋や囲碁のような限定的なゲームではもはや圧倒的に強いことが証明された。

人間のやっている知的な仕事は、たいていパターン化できる。それほど創造性が高いことをやっているわけではない。そこはAIが5年程度で担うことになってゆくだろう。

ではAIにはできないことはなんだろう。

それはまず個性を持つことだろう。それから正義や善悪の判断。倫理や道徳。こういう分野に苦手だ。

この領域は、多様で多元的だからだ。AIが学習をした場合に、AI間で並列化をすると、情報を共有する。これが学習だろうが、そうするとAIの個性は消える。

また、善悪といったものは、効率だけでは判断できない要素がある。ジョン・シュチュアート・ミルのような功利主義的な考え方を貫くならともかく、AIには善悪は決定できないだろう。その場その場で、最適な判断がいくつか出てくるからだ。社会的なコンテクストを読むだけではなく、社会が自己言及的であることもAIが理解する必要がある。

宗教的な神の存在もおそらく理解されない。

それから不確実性。これについてもAIは理解しにくいだろう。人類が過去に記録していないことは学べない。
仮に巨大な小惑星が接近してきたらどうするか。電磁波の影響で電源が落ち、大規模停電が起き、充電も尽きたらどうするか。そういう前例のないケースに関しては人工知能は弱い。
「恐慌=パニック」すら起こすだろう。人間もこの場合にパニックを起こすだろうが、そこに「意思」「意図」「生存への動機付け」が人間にはある。

ムーアの法則は速度は遅くなってきたとはいえ成立している。近いうちに、人間とAI、ロボット、アンドロイド、ナノテクノロジーについて熟考すべき時期が近付いている。

人はAI研究に規制をかけるのか、またかけられるのか。それとも、人類は、AIに従属するのか。科学者は昨年2015年になって、急に警鐘を鳴らし始めた。判断すべきその日は意外に近いのかもしれない。