AIについて
AI、人工知能に対しての楽観論があり、また一方では恐怖の感情が巻き起こっている。
AIが人間の能力を超えてゆくことをどう考えたらいいのだろうか?
一つは「人間の終わり」であり、これはヘーゲルやニーチェが唱えたヴァージョンが有名だろう。対立が終わることで、人間は実質的には終焉し、また同時に人間の歴史も終わる。あとは瑣末なこと以外はほとんどなにも起きない時代が来る。
ニーチェの場合は、人間という不完全なものではなく、永劫回帰を理解し、それに耐えられたものを「超人」(Ubermensch)と考える。
さて、人が持つ恐怖の一つは「自分の仕事をAIがやってしまう」ということだ。実際に現在も起きていると言える。AIの方が維持費が安ければ、企業はAIを使う。IBMのWATSONしかできないこともある。
現在の人工知能は、学習機能もあり、モンテカルロ法を使った検索で、将棋や囲碁のような限定的なゲームではもはや圧倒的に強いことが証明された。
人間のやっている知的な仕事は、たいていパターン化できる。それほど創造性が高いことをやっているわけではない。そこはAIが5年程度で担うことになってゆくだろう。
ではAIにはできないことはなんだろう。
それはまず個性を持つことだろう。それから正義や善悪の判断。倫理や道徳。こういう分野に苦手だ。
この領域は、多様で多元的だからだ。AIが学習をした場合に、AI間で並列化をすると、情報を共有する。これが学習だろうが、そうするとAIの個性は消える。
また、善悪といったものは、効率だけでは判断できない要素がある。ジョン・シュチュアート・ミルのような功利主義的な考え方を貫くならともかく、AIには善悪は決定できないだろう。その場その場で、最適な判断がいくつか出てくるからだ。社会的なコンテクストを読むだけではなく、社会が自己言及的であることもAIが理解する必要がある。
宗教的な神の存在もおそらく理解されない。
それから不確実性。これについてもAIは理解しにくいだろう。人類が過去に記録していないことは学べない。
仮に巨大な小惑星が接近してきたらどうするか。電磁波の影響で電源が落ち、大規模停電が起き、充電も尽きたらどうするか。そういう前例のないケースに関しては人工知能は弱い。
「恐慌=パニック」すら起こすだろう。人間もこの場合にパニックを起こすだろうが、そこに「意思」「意図」「生存への動機付け」が人間にはある。
ムーアの法則は速度は遅くなってきたとはいえ成立している。近いうちに、人間とAI、ロボット、アンドロイド、ナノテクノロジーについて熟考すべき時期が近付いている。
人はAI研究に規制をかけるのか、またかけられるのか。それとも、人類は、AIに従属するのか。科学者は昨年2015年になって、急に警鐘を鳴らし始めた。判断すべきその日は意外に近いのかもしれない。