イギリス、EU離脱 Bye, Brits!!

離脱の原因

イギリス(United Kingdom)は、国民投票の結果、EUからの離脱の賛成票が反対票を上回った。離脱賛成leaveが51.9%、残留remainが48.1%という結果。僅差といえば僅差。

この結果を受けて、キャメロン首相は3ヶ月以内に辞任することを表明した。

これは充分ありえることだった。そして事実起きた。なぜだろうか。

まずポピュリズムがいちばん大きなファクターだろう。「イギリスに力を取り戻す」という頻繁に使われた表現がそのことを表している。

イギリスは、通貨はポンドを使いながら、政治的にはEUに入っている。個別の政策はEU委員会や、EU議会で決まってゆく。それはイギリス人にとってみれば望ましくない。
たとえば、移民や難民政策についても、イギリスだけで決定できず、EUの政策に合わせてゆく必要があった。
環境政策や、エネルギー、社会政策など、基本的にEUの枠組みに合致させることが必要なのだ。EUの官僚たちに対しての不満がここから生まれてくる。

EUは経済的には効率がよく、むしろイギリスには有利なのだが、EUに言いなりなのが、自主性や主体性の欠如に見えていた。誰にか? イギリスの中産階級からワーキングクラスにである。

実際、離脱に投票したのはこの階層だ。

よく指摘される、高齢者が離脱を投票し、若年層が残留に投票したという世代間の差もあるだろう。だが、より大きいのは、EUへの不満だ。

離脱によって、GDPは6%低下することが世界銀行から予想されているし、またそのことも知った上での投票なのだろう。数字よりも、そして経済よりも、主体性を取った。

そして、早速、スコットランドが「また国民投票をして、イギリスから離脱する」と表明している。独立した後はEUに加盟して、イギリス政府には従わず、「EUに入る恩恵の方を手にしたい」ということなのだ。EUと直接に関わりたいのだ。

ここから何が起きるか。イギリスからスコットランドと北アイルランドが独立し、現在のイギリス=UKは消滅。イングランドとウェールズだけが地域国家となる。

この「イギリス」の出来事が恐ろしいのは、【次】が控えているからだ。
オランダ、デンマーク、そしてフランス、イタリア、ギリシャ、スペインといった国家が、軒並み「離脱への道」を模索することだろう。
フランスならFrexit、北アイルランドならIrexitという造語がすでに作られている。

この「離脱」の動きは、は極右(フランスの政党「国民戦線」)や、極左(スペインの政党「ポデモス」)であろうがこの点では変わらない。

現状がより展開してゆくと、EUは縮小してゆくだろう。いますぐにではないが、20年後でもない。10年後でもない。

これはナショナリズムなのか?

結論から言うと、イギリスの場合は、ナショナリズムだけではないだろう。スコットランドの例で分かるように、自分たちの地区、地域、ローカルなものに力を取り戻したいのだ。ローカル主義と呼んでよさそうだ。

もちろん、ここに反グローバル化を旗に掲げる人もいるだろうが、それだけではない。また極右を除けばナショナリズム(国家主義)だけでもない。

ヨーロッパ内がより小さい組織になり、そして同時により大きな連合体に所属するという傾向は考えられるだろう。
経済的には、小国であればあるほど弱くなる。効率が悪いのだ。かといって、選択肢は持っておきたいので、EUのような巨大組織には入りたくない。「上からの決定」を回避したい。

「離脱」は新たな都市連合や、国家連合、安全保障上の連合や機構を生む可能性がある。むしろこれは新しい政治形態への可能性だ。

そういう意味では、ここ200年間続いてきた国民国家というシステムの限界が露呈したとも言える。

つまり、国民国家だと国家間で戦争が起きる。戦争防止のために超国家Supranationを作ったら、今日のように離脱が起きた。大きすぎるのだ。

ではまた国家の規模に戻すのか?
それは過去の経験上難しい。もはや民族自決を概念にした「多民族」国、国家の形成は、困難なのだ。

となると、従来型の国民国家、それと超国家、そしてローカル主義、この3つが存在することになる。そこに、都市の連合・連盟や国家連合が、まるで漁網のように多重に張られてゆくというのが今後30年だろう。

また今回、民主制も大きく傷ついた。このことも記しておきたい。イギリスの離脱は「国民投票」で決まったものだ。このような国民参加型の決定方法を採用しようとする地域が増えるだろう。

専門的で難しく、各種の要素を考慮すべきテーマを国民投票で決めていいのか、という疑問が出てくる。だが、「自分たちが関わった」というプロセスの方が重要なのだ。それが現在だ。

ビジネス

日本にも当然影響は大きい。世界経済の大失速は当然だが、日系企業はイギリスに約1,000社進出している。

イギリスをベースにして、そこからEUゾーンへ営業しているというのが通常だ。EU域内は関税はなく、また輸出入のチェックも不要だ。
そしてイギリス市場から、ドイツやフランス、スペインへ出てゆく拠点になっている。工場も多い。日産の工場はあるし、インド財閥のタタ・グループは、ジャガーを所有している。

これらの拠点をイギリスからEU内に動かさなければならない。UKからEUへの高い関税、非関税障壁、それはごめんだ。
では、例えばドイツに動かす? 英語は通じるとはいえ、ドイツ語は必須だ。手続きも煩雑ダ。スイスはあり得るが、そもそもEUではないし、物価が高すぎる。

また進出先の治安も考えなければならない。ヨーロッパはテロによって「戦場化」しつつある。

拠点設定の苦しい選択が必要になる。ヨーロッパから撤退する企業も出てくるだろう。まずはベルリン(地価が安い、英語が通じる)がよいかとは思われるが、日本からの直行便はない。新空港は未だに完成していない。

これは日本企業だけの問題ではなく、韓国、中国、アメリカ、インド企業にも同じことだ。イギリスが金融の入り口、エントランスになっていて、それが閉じてしまい、出口exitになったのが今日Brexitなのだ。

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イギリスのEU離脱は起こるか Brexit, Possible?

ポピュリズム

EUではポピュリズムが渦巻いている。メイルストルム(=大きな渦)を起こす種類の妖怪specterである。
ポーランド、ハンガリー、オランダ、イタリア、フランスなどが、軒並みポピュリズム的な政党が強くなっているか、政権を取っている。極左から極右までありうるのが特徴だ。

デモクラシーはいろいろな意味で失調、不調が続いている。納税者は不満なのである。いったい何にか? それは「既成の政治家」に不満なのである。増税、緊縮財政、高い失業率、移民、難民問題。これをなんとかしてくれ!と考える。

そこで出てくるのが、過激な考え方を持つ、政治の「素人」だ。「難民は入れない」「この地域は独立する」「緊縮財政は採用しない」「社会保障は減額しない」「増税は回避する」

こういうマニフェストを出す素人政治家が舞台に登る。人気が出る。

「そうか、そういう新しい種類の政治家が登場してきたのなら支持しよう。投票所にも足を運ぼう」 こう新しく心に決める層が出てくる。

これがポピュリズムである。テクノクラートと従来の政治家によるデモクラシーでは、自分たちの考えを代表してくれていない。こう失望している人たちにとっての希望である。

しかし、もちろんこういう「素人」集団は、難民の排除を行ったり、人権を軽視する。従来の政治的な思想や枠組みでは決して支持できない思想の持ち主だ。

ここでドナルド・トランプ氏を想起しても良い。こういう背景のもとにトランプ氏は支持されている。

政治家は信用できない、だから、レファレンダム(国民投票)を!ということになる。

EU離脱?

この、ぐるぐると渦巻いている妖怪は、そうそう簡単に消せないだろう。デモクラシーは、時間がかかるが長期的には効率がいい、という「実感」を持たせるのが難しい。

この中で、UKの自立が問われている。EUによって、イギリスは自立できなくなった。こう思い込んでいる。移民や難民は、イギリスの制度を自由に使っていて、それはイギリス人には不利だとみなす。

そして、イギリスの離脱は、リーマンショック並みの大きな経済停滞を起こすだろう。

中国の現在 China Moving On

最近の中国の、特に軍の動きは展開が急だ。

いくつかの急所をポイント化してみよう。

・南シナ海島嶼部での利己的な行動
・インドとの領土問題の顕在化
・東アジア、特に日本の接続水域や領海への侵入

この動きは、これからさらに広がって行くと考えられる。

分析

上記3点の理由

①1つめとしては、中国は、新興国としていままでの国際的な体制に対抗して、新たな秩序を作ろうとしている点(たとえば「一帯一路」)が挙げられる。これは「反アメリカ」という形で現れやすい。現在の国際秩序は、主にアメリカが作成したゆえ。

②習近平政権が、「パナマ文章」をきっかけにやや脆弱になってきている。この弱さを補うために、中国共産党政府は、人民解放軍にやりたいようにやらせて、「反・習近平」にならないようにするだろう。

③中国共産党内部での権力闘争の中、習近平は「他国と協調」ではなく「中国の強さ」を出すように迫られている。

④中国経済を「新常態」と呼び、再定義。またバブル崩壊もなんとかしのいでいるものの、株価は下落傾向であり(上海A株)、地価も下がってきている。このことを考えると景気浮揚のために、軍事支出増加ということはあり得るし、実際に軍事費は増大している。

⑤中国のいくつもある弱点のうちの1つは、自然資源のなさだ。それを補うために、南シナ海を確保したい。また原油輸入のための東南アジアのタンカーの経路、いわゆるシーレーンの安全性も保ちたい。

こう考えると、人工の島を作り、海警(日本の海上保安庁にほぼ相当)を派遣し、海軍や空軍を強化するのは、当分止まらない動きだと考えるのが自然だろう。

また中国の「ネット民」(ネット世論)が中国の外交政策に影響を与えていることは知られている。ネットの中では、反米や反日的な言説はしばしば見られる。この言説への対策も必要になる。

今後の中国

今後の中国は、上記のことからからみれば、<軍事的な拡張路線>をとることはほぼ間違いないと言える。習近平政権は、ある種の「文化大革命」のような独裁的な状況すら持っている。そこで思想や方向性の統制も強くなってきている。たとえば香港のデモクラシーの抑圧や、香港の書店員の拉致と「思想教育」がその例である。

王毅外相との交渉ではなく(王毅外相には外交決定権は厳密にはない)、より共産党の中核との交渉を求め、東アジアで紛争が起きることが双方にとって、また地域にとって得なことがないことを説明すべきだろう。そして真に理解してもらうことだ。

また状況によっては、共産党にとっての不安、つまり共産党に対する革命(裏返しの「ブルジョワ革命」でもあるし「革命の革命」でもある)が起きないような知恵を与えることすら必要かもしれない。これは内政干渉ではもちろんないレベルで行われるべきであろう。

日本にとって軍事力強化も重要になってはくる。だが、それほど予算が避けるわけではなく、また周辺国に却って脅威になりかねない。まずは中国共産党の先鋭化を止めることで、日本の軍事力の重要度を下げることだ。とても難しいことだが、日清戦争、日中戦争の後の、第3次日中戦争を回避するには必須だろう。

田中公一朗記

AIについて

AI、人工知能に対しての楽観論があり、また一方では恐怖の感情が巻き起こっている。

AIが人間の能力を超えてゆくことをどう考えたらいいのだろうか?

一つは「人間の終わり」であり、これはヘーゲルやニーチェが唱えたヴァージョンが有名だろう。対立が終わることで、人間は実質的には終焉し、また同時に人間の歴史も終わる。あとは瑣末なこと以外はほとんどなにも起きない時代が来る。

ニーチェの場合は、人間という不完全なものではなく、永劫回帰を理解し、それに耐えられたものを「超人」(Ubermensch)と考える。

さて、人が持つ恐怖の一つは「自分の仕事をAIがやってしまう」ということだ。実際に現在も起きていると言える。AIの方が維持費が安ければ、企業はAIを使う。IBMのWATSONしかできないこともある。
現在の人工知能は、学習機能もあり、モンテカルロ法を使った検索で、将棋や囲碁のような限定的なゲームではもはや圧倒的に強いことが証明された。

人間のやっている知的な仕事は、たいていパターン化できる。それほど創造性が高いことをやっているわけではない。そこはAIが5年程度で担うことになってゆくだろう。

ではAIにはできないことはなんだろう。

それはまず個性を持つことだろう。それから正義や善悪の判断。倫理や道徳。こういう分野に苦手だ。

この領域は、多様で多元的だからだ。AIが学習をした場合に、AI間で並列化をすると、情報を共有する。これが学習だろうが、そうするとAIの個性は消える。

また、善悪といったものは、効率だけでは判断できない要素がある。ジョン・シュチュアート・ミルのような功利主義的な考え方を貫くならともかく、AIには善悪は決定できないだろう。その場その場で、最適な判断がいくつか出てくるからだ。社会的なコンテクストを読むだけではなく、社会が自己言及的であることもAIが理解する必要がある。

宗教的な神の存在もおそらく理解されない。

それから不確実性。これについてもAIは理解しにくいだろう。人類が過去に記録していないことは学べない。
仮に巨大な小惑星が接近してきたらどうするか。電磁波の影響で電源が落ち、大規模停電が起き、充電も尽きたらどうするか。そういう前例のないケースに関しては人工知能は弱い。
「恐慌=パニック」すら起こすだろう。人間もこの場合にパニックを起こすだろうが、そこに「意思」「意図」「生存への動機付け」が人間にはある。

ムーアの法則は速度は遅くなってきたとはいえ成立している。近いうちに、人間とAI、ロボット、アンドロイド、ナノテクノロジーについて熟考すべき時期が近付いている。

人はAI研究に規制をかけるのか、またかけられるのか。それとも、人類は、AIに従属するのか。科学者は昨年2015年になって、急に警鐘を鳴らし始めた。判断すべきその日は意外に近いのかもしれない。

映画『Ex Machina』とチューリング・テスト

チューリング・テスト

作家として有名なアレックス・ガーランド。日本でも小説『ビーチ』である程度話題になったことがあった。その彼がこの映画、『エクス・マキーナ』を撮った。劇場公開は2015年春(日本未公開、同名のアニメ作品とは関係はない)。

作家が映画を撮影すると、作品として成功しにくいケースがむしろ多いだろう。村上龍の映画は見所があるものけれど、小説の方が断然完成度が高い。他にもスティーヴン・キングの例があるが状況は似ている。

結果から書くと素晴らしい映画だと断言できる。TIME誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2015年映画ベスト10に入っているのも肯けるところ。

ガーランドが脚本を書き監督もしたのだが、テーマとしては昨年2015年から話題になることが特に増えた人口知能(AI)だ。いったい人工知能は人間になりうるだろうか? それを真正面から問う映画といえる。でも重たい映画ではなく、エンタテイメント性を保ちながら、緊張感があり編集のリズムがよい作品に仕上がっている。
(下記「ネタバレ」”spoiler”あり)

機械に心があるのか? この問いは、古来からあったものだ。道元は人間を作り上げようとしたし、『巨人ゴーレム』もこの系譜に位置づけられるだろう。多くの問題がこういう物語内では提起されるが、一番大きなものは「機械に心があるかどうかをどのように確かめるか」ということに尽きるだろう。

心は機能であり、心そのものを見ることはできない。では、心がある(=存在している)ことをどうやって確認するのだろう。その方法に関しては、最近亡くなったミンスキーから、物理学者のペンローズ(素粒子論的プロセスが脳で起きている)まで多様な考え方があった。この映画では、数学者アラン・チューリングの考え方を取り入れ、機械に心があるかを確かめることが物語のコアとされている。

チューリングとは、映画『イミテーション・ゲーム』でカンバーバッチが主役になったあの役に当たる人でもある。映画の中では巨大なコンピュータを考案し、また同性愛に苦しむ状況が描かれていたが、彼は「チューリング・テスト」と呼ばれる方法も提示している。

チューリング・テストとは、【人が相手を機械と知らずに充分に長い時間、機械と話した場合、相手が機械だと気づかなければ、それを「心があることとみなす」】というものである。心が実在するかどうか確認できないのであれば、心同様の働きがあればそれは心とするという見方だ。心の存在を問わない。そうではなく、心の存在を認めるのに、消極的な証拠さえあれば、「それを心としてよい」ということだろう。

この映画の中では、ある研究者がこのチューリング・テストを確かめようとする。そのプロセスが映画であり、主人公はそのために研究者の元に連れてこられる。
ここから先はストーリーに当たる部分なので書けないが、もう1度見たくなる濃密な映画だ。

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この映画の拡がり

この映画の素晴らしいところは、人間とAIの違いが「ない」ことを、伝えているところである。「ペッパーくん」が充分に知能を持てば、人間との差は見かけだけになる。そして「ペッパーくん」が人間の形状に乗れば、もはや人間と区別がつかなくなる。
この点については、シンギュラリティーの議論になるのでいまは立ち入れないが、しかし、問題は極めて深く、また深刻である。

ここで問われるのは、「人間とは何か?」ということではなくて、「人間は途轍もないものを作ってしまっているのではないか」ということだ。

キャスティングも優れている。マッチョな神経生理研究者、クジに当たった主人公、そして女性たち、それぞれ、有名な俳優ではないが適材だ。

そういえば、ヴィトゲンシュタインの「青い本」というタイトルが、AI研究所の名前になっている。The Blue Bookである。「意味とは何か」からはじまる講義録で(『青色本』、大森荘蔵訳、ちくま学芸文庫)ヴィトゲンシュタインの本としては例外的に読みやすい。わかりやすいとは言えないが、読むことはできる。これはヴィトゲンシュタイン的な意味論が、心に関係しているだろうというガーランド監督からのメッセージかもしれない。

山深いところにある研究所は、ペーター・ツムトール(ペーター・ズントー)が設計したかのようなアウトテリアであり、インテリアは、シャープな印象を持たせる。そしてどこにでも監視カメラが据えつけられている。
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ペーター・ズントーの建築(スイス、1986)

この映画は、『惑星ソラリス』『ガタカ』の流れに属していると言えるだろう。前者では、人類の精神を反映し、物質化する宇宙人を扱い、後者では遺伝子治療の問題をSFの中で描いていた。「予告編」は『ガタカ』。イーサン・ホークの出世作。

映画史上もっとも古く、すでにアンドロイドに操られる問題を、階級闘争に入れ込んだ作品がフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』だ。
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映画『メトロポリス』より

また『攻殻機動隊』で、この心の問題は「魂=ゴースト」と名付けられ、単なる心的な機能と、人間が持つゴーストを区別している。新劇場版ではこの問題はほとんど扱われていない。
下記は映画のオープニング部分。日本語。


「心の存在」という表現するのが困難なテーマでブレイクスルーを起こした、そういう映画がこの『エクス・マキーナ』である。「女性が活躍する」のも示唆的だ。

人類はこの人工知能の問題をどうするのか、まず考えられるのは、人工知能、AIの研究に規制をかけることかもしれない。科学が人類を危機に陥れるとき、人は科学研究を規制する。クローン研究がそのもっともいい例だ。

『Ex Machina エクス・マキーナ』予告編


★★★★★

デモクラシーとトランプ   Trump and Democracy

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社会は多様な要素からできていて、そこには様々な考え方や物の見方、そして宗教が並存している。並存状態をそのまま放置すると「血みどろの戦い」(長谷部恭男)が起きる。それはほとんど誰にとっても望ましくないだろうから、法、とくに憲法=コンスティチューションを作る。そこで社会から私的なものを分離する。それで個人の自由を保障しながら、社会的な対立を起きにくくする。

つまり個人的な信念や行動は、私的な空間のみで行うこととし(思想や信教の自由)、公的な空間では、複数の見方や見解、諸宗教が共存する状態を作り上げた。

これがデモクラシー、民主制だ。

ここで大きく機能しているのは、次のような考え方だ。多様性の容認、それと自分の私的な思想の容認。この状態を法的にも規範としても確保しているのがデモクラシーの国家ということになる。
もし思想や宗教間で対立があった場合、政府は少数派を抑圧したり、政府の思想を押し付けたりはできない。マイノリティーを徹底して圧迫すると、それはファシズムになってしまう。ファシズム化は避けられている。

デモクラシーのより徹底した形の一つがPC(「政治的な公正さ=ポリティカル・コレクトネス」)であり、少数派の位置を言葉上でも守ろうとした。

「産婦人科」と呼ぶのは、女性だけが出産や育児に関わるというイデオロギーを表してしまうから、産科や婦人科と呼び変えたりするのがそれだ。これは容易に言葉狩りにつながり、現実を正確に表現できなくなる場合がある。
実際、個人の精神面で、差別や排除の意識はデモクラシー国家でも残ってしまう。

ここでドナルド・トランプ氏が登場する。公的には多様性を重視するという立場なら「言ってはならない」差別や排除を、遠慮なく言うのが共和党の大統領候補ドラルド・トランプ氏だ。

トランプ氏は人気を保つ。なぜか?

公私の区別をなくし、社会の多様性を認めず、自己の価値観をそのままさらけ出しているからだ。「今回の事件の全容がはっきりするまでは、イスラーム教徒はアメリカに入国させない」という文言でむしろ支持率が上がっている。それはイスラーム教徒に対して「よく訳がわからない人たち」「危険な宗教」と思い違いをしている人たちにとっては、「よくぞ言ってくれました、これでアメリカは少しは安全になる」と考えているのだろう。

問題は、こういう私的な発言であるべきものを、公的な場で堂々と話してしまっているところにある。これは公私の区別のなさであり、上述の立憲主義に対立する考え方だ。憲法の危機である。国家を成立させる=コンスティチュートさせる基本的な思想を壊しているのだ。
今後、アメリカでは価値観や宗教の対立が拡大してゆくだろう。価値や異なる宗教を認めなければ、対立は激化し、暴力すらも起きてしまうだろう。
かくして、アメリカはアメリカの初期に戻ってゆく。

パリのテロについて考える Regarding Terrorism in Paris 11/13

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出典:BBC

2015年11月13日、フランスのパリで同時多発テロが発生した。容疑者は9名。その後、実行犯は11名であることが判明。背後には兵站(通信や爆弾製造)を担当したと思われるものがおそらく10名程度。容疑者の内7名がフランス国籍所持者でベルギー在住。(この辺は数字の誤差が報道によってあり)。1人がシリアへの渡航経験が最低1回。

この事件により、フランス政府は非常事態宣言を発令。その後ベルギーも追随。つまり憲法に一時的な制限をかけるということ。令状なしで家宅捜索できたり、現行犯でなくても逮捕できる状態が作られた。これはフランス政府によるフランスの理念の自己否定である。フランスというのは「自由、平等、博愛」の国家なのだから!
フランス政府は寛容性を否定した。その後、この非常事態宣言は3ヶ月間に延長された。フランスはこの間、フランスではなくなる。

また現オランド大統領はこの行為を「Act of War」(戦闘行為)と呼び、事実上の宣戦布告をした。
一方のISISは犯行声明を出している。もちろん実際にこれがISISの攻撃によるものかどうかは証拠がないのでわからないが、これだけ組織的な活動をできるのは、限られた組織だろう。

これは、死者129名、負傷者352名以上、ICUで治療を受けている人が10名以上という悲惨で、言語道断なテロだ。亡くなったり、負傷した人の家族、友人らの悲しみや辛さはほとんど想像すらできない。なんの予告もなく突然起こされたものだ。

国際法からみたフランスの対応の「誤り」 What’s wrong with it?

ここ100年ほどでより整備された国際法の視点からすれば、フランスの行動は正しいとは言えない。少なくとも正当性があるとは呼びにくい。

国際法上、戦闘行為が起こった際には「自衛権」が認められている。攻撃してきた側を、攻撃された側が攻める、そして攻撃してきた側の本拠地まで攻撃する。そういう権利である。(国連憲章第51条には集団的自衛権の条項があるが、いまは触れない)。
その自衛権が発動されるのはどういうときかというと「武力行使の発生」が起きたときに限られる。つまり、武力の行使がなければそれは自衛権には入らない、ということだ。

では、この11/13日のテロは武力行使に当たるのか。それは当たらないとするのが通常だろう。ICJ(国際刑事裁判所)の判例からしても、違法である可能性が高い。テロとは犯罪行為crimeであるからだ。それをフランス政府はAct of Warと呼ぶことで戦闘行為と認定した。
そのタームは通常は「国家による他の国家の攻撃」を指すので、フランスにさらにISISを攻撃する権利が生まれたということだ。フランスは逆説的にISISを国家として承認したとも言えるかもしれない。

つまり国際法から見ると、フランスが「戦闘行為」と呼んで、テロを組織的な戦闘とみなし、それを根拠にISISが根城にしている地域を空爆するのは、緩くみてグレー、厳しくみれば黒ということだ。
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出典:BBC. これは犯罪の捜査と同じだ。形式も内容も。

もちろん、ここには前例がある。アメリカが2001年9月11日に同時多発テロ(実行犯11名)が発生、ニューヨークとワシントン(ペンタゴン)が攻撃された、その際、ブッシュ大統領(子)がこの攻撃をActs of Warと呼んで、翌10月には実行犯がいると当時思われたアフガニスタンの空爆を行っている。
ランド大統領やバルス首相、またそのブレーンは、このケースを念頭にしたに違いない。

その後、ブッシュ大統領は大量破壊兵器の存在を根拠に、イラク戦争も起こしたのは知られている通り。これはトルーマン・ドクトリンの再現ともいうこともできる。
またつい最近になって、そのアメリカとともに軍事攻撃をしたイギリスの当時のブレア首相が「この判断を間違いだった」とある種の謝罪をしたのだった。

国際社会の対応と「アラブの砂嵐」International Society and Sand Storms in Arab

このパリのテロに関して、国際社会の反応は一言で言えばたいへん遅れた。個別に国家間で電話会見などはされたものの、直後に開かれたトルコでのG20では、テロを非難することで終わった。また国連はさらに遅れ、国連総会が全会一致で非難をしたのは、事件から一週間後の金曜日だった。
どうして遅れたかはさておき、ここには難しい問題が山積している。

まずシリアからの難民をこの後どうするのか、ということが重くのしかかっている。日々千人単位でギリシャ、スペイン、イタリア経由で難民(あるいは移民)がEUに流入してきている。この難民を助けるのは、人権という観点からも、「人間の安全保障」という観点からもどうしても必要だろう。またそれはEUの中核的な価値だし、国連の根本的な理念でもある。

それでドイツやイタリアを筆頭に、観念としては「難民を助ける」という方向がここ4年間続いている。しかし、難民と言っても、そこにはアフリカ諸国やアフガニスタンからの「移民」も混じっている。また、シリアやイラクからのテロリストも混じっている可能性がある。となると年間で100万人規模の難民や移民を受け入れるのかどうか、というのは困難になってくる。

そして、そもそも、この難民が生じたのには、チュニジアから始まった「アラブの春」があり、それを物心共に援助したのはEUやアメリカであった。そして実際に「アラブの春」で民主化が実現した、と思われた瞬間に、それらの国々は内戦に陥り(シリア、リビア)、何度かの選挙の末に軍事政権になったり(エジプト)、民主化はしてもテロが起きたり(チュニジア)というのが現状だろう。

現在は「アラブの砂嵐」という状態だ。地域によるが、アラブ圏の砂嵐はひどく、飛行機が欠航することもある。

今後の方向 One Step Ahead

今後、国際社会はどういう方向性を持ち、どのように行動して行けばいいのだろうか。理念から考えれば、出来うる限り国際社会が結束し、意見の相違を避け、共通点を見出す。そして邪悪な集団であるISISを撲滅することだろう。

少数の有志連合coalitionが、独自の現状解釈で空爆や後々地上軍を送ることは望ましくないどころか、逆効果でさえある。
というのも、それは「ある国家がテロ攻撃をされたら、それを戦闘行為と呼び、そして空爆を有志で行えばよい」という例を再び作ってしまうからだ。そうなると、国際社会は混沌としてくる。守られるべき規範を喪失するからである。

いったん規範がなくなれば、独裁国家や新興国は自らの好みに応じて振る舞うようになる。恣意的で身勝手な国際社会は、もはやコミュニティーとは呼べなくなり、国連などの国際機関は無力化される。軍事力や経済、資源がものをいう世界に突入する。

この70年間で培われてきた、世界的な平和志向や、各種NGOによる貧困や紛争の撲滅、そしてグローバル化によって起きた飢餓人口の半減、といった人類にとって望ましいもの。これが一夜とは言わなくても短期間で元に戻ってしまう状況は、ほとんどの人にとっては訪れて欲しい未来ではないだろう。

現実的に国連が動きにくい以上、イギリスや日本、ノルウェーなどが先導して、国際的な会議を行うというのが現実的であろう。テロ対策をグローバル社会で取るという決意を明示することだ。これができれば、中東やアフリカのテロに賛同する人はさらに減るだろう。「文明の衝突」や「宗教戦争」といった、アメリカの一部の政治家や学者の見方、またISISの世界観を否定する力がいまこそ必要だ。

「報復には報復しかない」という言葉では、ISISによるテロは止まらない。資金も人もいる集団だからだ。彼らの思考はイスラームにおけるジハード(聖戦)を異常に拡張しすぎている。そしてジハードからはみ出た単なる暴力集団化もしている。カルト集団と呼ぶべきかもしれない。日本の用語でいえば「セカイ系」の組織化だとも言えそうだ。そのことを念頭に入れながら対応すべきではないだろうか。

そして、いま最も苦しいのは、テロの被害者とその家族、シリア周辺の諸部族、難民たち、そしてほとんどのイスラーム教徒であろう。

(後で内容を増強、修正します)