トランプはなぜ当選したのか Why Trump?

疲れているアメリカ Tired American

なぜドナルド・トランプ氏のような暴言を吐き、また一方的にツイートをする候補が大統領になったのだろうか。それはあまり解明されていない。いくつかの視点から、大統領になり得た社会・経済的な要因を探ってみる。

アメリカの分断 生き残っている地域はどこか The Devided

トランプ氏が得票をし、選挙人を獲得した理由に「ラストベルト」Rust Beltを挙げられることは多い。しかしそれだけで説明は不可能だろう。

たしかに工場が中国やメキシコに移転してしまい、製造業が衰退したケースはある。典型的な例が自動車産業だ。

2013年7月、デトロイト市は連邦法第9条を申請して破綻した。自動車産業の衰退にプラスして、リーマンショックから立ち直れなかった自動車産業からの税収減、これが大きかった。さらに同市はスワップ取引で運用をしていたので、債務が一気に増加。人口は最大時より1/3に減少している。空洞化がいまも続いている。

しかしこれは五大湖周辺のことである。俯瞰で大きく見てみると、アメリカ人が全体としては疲弊しているのがわかる。

たとえば、現在のアメリカ人はアメリカン・ドリームをそれほど信じていない。若い人たち、18歳から29歳までのいわゆるミレニアル世代に尋ねると、48%が「アメリカン・ドリームは終わった」と回答する(ハーヴァード大政治研究所調べ、2015年)。
所得でみると中流階層(5階層分類の3位、わかりやすく言えば真ん中へん)は縮小している(ワシントン・ポスト紙、2015年12月10日)。ミドルクラスの崩壊はたしかに起きている。

また高齢者であるベビーブーマー世代も痛んでいて、リーマンショックによって年金の支払い額を減らし、また資産も失っている。日本の高齢者が為替と物価(購買力平価)の差を使って海外で「豊かな」生活するように、アメリカの高齢者もメキシコで暮らして生活の質を上げようとしている。アメリカ人(国籍所有者)で海外において暮らす人は実に900万人にのぼる。

一方で、ロサンジェルス、ヒューストン(シェールガスをはじめエネルギー産業が活況)、ニューヨーク、ボストン、アトランタ、シカゴといった都市は景気もよく、シカゴを除くと治安も良好になっている。絶好調とも呼べる。だがしかし、クリーブランドは「バルカン半島化」していると言われるし、バッファローやフォートローダーデールといった都市は産業が少なく苦戦している。ちなみにシカゴは財政再建をエマニュエル市長が行なっている最中である。それが歳出不足になりインフラ悪化に繋がっている。いまや全米一の犯罪率になってしまった。

つまりアメリカの中で繁栄しているのは、次の4つの条件に当てはまるかどうかだ。
ITに関係しているシリコンバレーに代表される地域か、サプライチェーンの中に組み込まれている産業があるか(部品工場、航空機産業や軍事関係)、中国や日本から投資があるか、そして民営化を進めているか、この4条件だ。

それ以外の地域は経済的にも低調で、組合を独自に組織したり、ある種のマイクロファイナンスを開始してしのごうとしているという状態だ。

たとえば、デンバーを中心としたコロラド州では、企業誘致地域(EZ、エンタープライズ・ゾーン)を策定、企業や個人に対する税制の優遇を行ない成功を収めている。こういう日本でいう「民活」をすれば、人材を海外からも呼べる地域が残っている。
http://choosecolorado.com/doing-business/incentives-financing/ez/

反面で無策になっている地域は貧困か最貧に落ち込んでいる。具体的な場所は書きにくいが、アリゾナやルイジアナを挙げることはできよう。

ではシカゴという大都市を抱えるイリノイ州は全体が貧しいのかというと、そうではなく、一部の富裕層はシカゴに住んでいるが、シカゴの外縁、そして州レベルで見ると貧困地域になっている。再開発地区は地価がむしろ上昇している(シカゴはオバマ前大統領が若いころ住んでいた土地でもある)。ニューヨーク、ロサンジェルスなど軒並みこの構造であり、都市の中心部は再開発で治安がよくなり、周辺部は貧困層が住むというパターンだ。飛行機で離着陸の際に見ているとその差が一目瞭然である。

北米貿易自由連合 NAFTA

北米の自由貿易の連合体に中に入っている地域は、雇用は十分ある。そしてアメリカの西海岸はアジア化、中国・韓国化している。

というのも、中国人富裕層は中国政府を信用できないのでアメリカの資産や土地、家屋を購入している。有名な話だ。中国人の憧れの地カナダもここに関与する。資本や人が実際に入ってくる地域が米加西海岸なのだ。それでバンクーバーは最近ホンクーバーと呼ばれたりする(香港化するバンクーバーの意、パラグ・カンナ『「接続性」の地政学』)。

またメキシコとの関係もアメリカは強い。メキシコは原油を産出するが、国営企業ベメックス社は、メキシコからアメリカの奥深くまでガスパイプラインを敷設することで米系企業ブラックロック社などと合意隅である。トランプ政権はこの契約をどうするだろうか。政府と民間と契約だが。

また、年間250万台の車を製造しているメキシコの車工場では、自動車部品の2/3をアメリカの部品供給会社から購入している。

このことでメキシコには雇用が生まれ、アメリカ人がメキシコに移民している。アメリカからメキシコへの移民の方が逆よりも実数が多いのだ。

さらに考えることはある。

アメリカは水がない。とくに西部は恒常的、慢性的な水不足に陥っている。アメリカはカナダからパイプラインで水を供給する必要がある。カリフォルニアからグレート・プレーンズはすでに水が不足しがちだ。もし乾燥が原因でこの地域が干ばつになると、大豆、とうもろこし価格は上昇し、日本の食卓を直撃するだろう。

アイデンティティの争い Identity Politics

貧困地域から、中産階級まで、アメリカではいまアイデンティティやジェンダーに関する闘争も進行中だ。この原因は多様だ。おそらく最大のものは、ハンチントンが指摘している「エリート階層と一般大衆の間」(大都市)、そして「ヒスパニックと白人の間」(特に南部からフロリダ)、ここに巨大な切れ間、断層線がある(『分断されるアメリカ』)。

この対立が、たとえば白人とアフリカ系(「黒人」)の対立になり、警官の銃撃事件から対抗意識がエスカレートしている。あくまでもこれがアメリカの現象の一部なのだ。

例を挙げると私自身、昨2016年に20年ぶりに調査でマイアミを訪れたが、そこは英語とスペイン語の2重言語地帯へガラッと変わっていた。標識から空港、駅の表示などたいていが2言語で、警官もスペイン語を話す。
マイアミの中心部の道路は比較的舗装されていたが、走っているタクシーは古い車で、支払いは逆にアップル・ペイが使えた。インフラはまだこの地域では維持されているが、タクシー運転手や会社には新車に変える余裕がないのだろう。Uberを使うと掃除の行き届いた日本車が来る。

むしろヒスパニック系の方が所持品が豊かと言える面もあった。これは「白人」からすれば、許せないと思うのも無理からぬところかもしれない。だからといって差別的な言動を取ることとはまた別のことだ。

まとめ Summary

・アメリカでは産業が盛んな都市は人を惹きつけているが、そうでない地域が都市レベルで多い。貧困化、途上国化が起きている。行政は追いついていないことが多い。

・貿易でこそアメリカは成立するが、仕事がメキシコや中国に流失していると考えることも可能だ(大勢としては間違っているのだが)。

・民族間の対立が潜在的にあり、それが顕在化しているのがここ数年のこと。

さらにアメリカの水不足問題、それから電力供給、飛行場不足、道路や橋、鉄道といったインフラ未整備、大学はインド系や中国系留学生でいっぱい、教える教員もアジア系という大学状況、こういうものが横たわる。そしてだめ押し的に中国人が関わってくるようになって問題が複雑化している。

こういう状況だ。

ここまでくれば、トランプ氏が大統領になってゆくのも理解できるだろう。彼の移民政策やテロ対策、「もう一度アメリカを偉大にする」という意味もわかってくる。請求書に民も官も追われていて、アメリカは疲労の度を深めている。

たんにポピュリズムや反知性主義だけでは説明がつかない部分がこれで明確になっただろうか。

個人的には、トランプ大統領の現在の発言はまったく賛同できない。しかし、これがデモクラシーである。トクヴィルがかつて見たようなアメリカの民主制はもはやない。アメリカはこれからさらに混沌としてゆく。対立する軸があまりに多いからだ。もっともそれはチャンスにもなっている。チャンスを活かせればだが。

(田中公一朗)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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デモクラシーとトランプ   Trump and Democracy

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社会は多様な要素からできていて、そこには様々な考え方や物の見方、そして宗教が並存している。並存状態をそのまま放置すると「血みどろの戦い」(長谷部恭男)が起きる。それはほとんど誰にとっても望ましくないだろうから、法、とくに憲法=コンスティチューションを作る。そこで社会から私的なものを分離する。それで個人の自由を保障しながら、社会的な対立を起きにくくする。

つまり個人的な信念や行動は、私的な空間のみで行うこととし(思想や信教の自由)、公的な空間では、複数の見方や見解、諸宗教が共存する状態を作り上げた。

これがデモクラシー、民主制だ。

ここで大きく機能しているのは、次のような考え方だ。多様性の容認、それと自分の私的な思想の容認。この状態を法的にも規範としても確保しているのがデモクラシーの国家ということになる。
もし思想や宗教間で対立があった場合、政府は少数派を抑圧したり、政府の思想を押し付けたりはできない。マイノリティーを徹底して圧迫すると、それはファシズムになってしまう。ファシズム化は避けられている。

デモクラシーのより徹底した形の一つがPC(「政治的な公正さ=ポリティカル・コレクトネス」)であり、少数派の位置を言葉上でも守ろうとした。

「産婦人科」と呼ぶのは、女性だけが出産や育児に関わるというイデオロギーを表してしまうから、産科や婦人科と呼び変えたりするのがそれだ。これは容易に言葉狩りにつながり、現実を正確に表現できなくなる場合がある。
実際、個人の精神面で、差別や排除の意識はデモクラシー国家でも残ってしまう。

ここでドナルド・トランプ氏が登場する。公的には多様性を重視するという立場なら「言ってはならない」差別や排除を、遠慮なく言うのが共和党の大統領候補ドラルド・トランプ氏だ。

トランプ氏は人気を保つ。なぜか?

公私の区別をなくし、社会の多様性を認めず、自己の価値観をそのままさらけ出しているからだ。「今回の事件の全容がはっきりするまでは、イスラーム教徒はアメリカに入国させない」という文言でむしろ支持率が上がっている。それはイスラーム教徒に対して「よく訳がわからない人たち」「危険な宗教」と思い違いをしている人たちにとっては、「よくぞ言ってくれました、これでアメリカは少しは安全になる」と考えているのだろう。

問題は、こういう私的な発言であるべきものを、公的な場で堂々と話してしまっているところにある。これは公私の区別のなさであり、上述の立憲主義に対立する考え方だ。憲法の危機である。国家を成立させる=コンスティチュートさせる基本的な思想を壊しているのだ。
今後、アメリカでは価値観や宗教の対立が拡大してゆくだろう。価値や異なる宗教を認めなければ、対立は激化し、暴力すらも起きてしまうだろう。
かくして、アメリカはアメリカの初期に戻ってゆく。

パリのテロについて考える Regarding Terrorism in Paris 11/13

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出典:BBC

2015年11月13日、フランスのパリで同時多発テロが発生した。容疑者は9名。その後、実行犯は11名であることが判明。背後には兵站(通信や爆弾製造)を担当したと思われるものがおそらく10名程度。容疑者の内7名がフランス国籍所持者でベルギー在住。(この辺は数字の誤差が報道によってあり)。1人がシリアへの渡航経験が最低1回。

この事件により、フランス政府は非常事態宣言を発令。その後ベルギーも追随。つまり憲法に一時的な制限をかけるということ。令状なしで家宅捜索できたり、現行犯でなくても逮捕できる状態が作られた。これはフランス政府によるフランスの理念の自己否定である。フランスというのは「自由、平等、博愛」の国家なのだから!
フランス政府は寛容性を否定した。その後、この非常事態宣言は3ヶ月間に延長された。フランスはこの間、フランスではなくなる。

また現オランド大統領はこの行為を「Act of War」(戦闘行為)と呼び、事実上の宣戦布告をした。
一方のISISは犯行声明を出している。もちろん実際にこれがISISの攻撃によるものかどうかは証拠がないのでわからないが、これだけ組織的な活動をできるのは、限られた組織だろう。

これは、死者129名、負傷者352名以上、ICUで治療を受けている人が10名以上という悲惨で、言語道断なテロだ。亡くなったり、負傷した人の家族、友人らの悲しみや辛さはほとんど想像すらできない。なんの予告もなく突然起こされたものだ。

国際法からみたフランスの対応の「誤り」 What’s wrong with it?

ここ100年ほどでより整備された国際法の視点からすれば、フランスの行動は正しいとは言えない。少なくとも正当性があるとは呼びにくい。

国際法上、戦闘行為が起こった際には「自衛権」が認められている。攻撃してきた側を、攻撃された側が攻める、そして攻撃してきた側の本拠地まで攻撃する。そういう権利である。(国連憲章第51条には集団的自衛権の条項があるが、いまは触れない)。
その自衛権が発動されるのはどういうときかというと「武力行使の発生」が起きたときに限られる。つまり、武力の行使がなければそれは自衛権には入らない、ということだ。

では、この11/13日のテロは武力行使に当たるのか。それは当たらないとするのが通常だろう。ICJ(国際刑事裁判所)の判例からしても、違法である可能性が高い。テロとは犯罪行為crimeであるからだ。それをフランス政府はAct of Warと呼ぶことで戦闘行為と認定した。
そのタームは通常は「国家による他の国家の攻撃」を指すので、フランスにさらにISISを攻撃する権利が生まれたということだ。フランスは逆説的にISISを国家として承認したとも言えるかもしれない。

つまり国際法から見ると、フランスが「戦闘行為」と呼んで、テロを組織的な戦闘とみなし、それを根拠にISISが根城にしている地域を空爆するのは、緩くみてグレー、厳しくみれば黒ということだ。
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出典:BBC. これは犯罪の捜査と同じだ。形式も内容も。

もちろん、ここには前例がある。アメリカが2001年9月11日に同時多発テロ(実行犯11名)が発生、ニューヨークとワシントン(ペンタゴン)が攻撃された、その際、ブッシュ大統領(子)がこの攻撃をActs of Warと呼んで、翌10月には実行犯がいると当時思われたアフガニスタンの空爆を行っている。
ランド大統領やバルス首相、またそのブレーンは、このケースを念頭にしたに違いない。

その後、ブッシュ大統領は大量破壊兵器の存在を根拠に、イラク戦争も起こしたのは知られている通り。これはトルーマン・ドクトリンの再現ともいうこともできる。
またつい最近になって、そのアメリカとともに軍事攻撃をしたイギリスの当時のブレア首相が「この判断を間違いだった」とある種の謝罪をしたのだった。

国際社会の対応と「アラブの砂嵐」International Society and Sand Storms in Arab

このパリのテロに関して、国際社会の反応は一言で言えばたいへん遅れた。個別に国家間で電話会見などはされたものの、直後に開かれたトルコでのG20では、テロを非難することで終わった。また国連はさらに遅れ、国連総会が全会一致で非難をしたのは、事件から一週間後の金曜日だった。
どうして遅れたかはさておき、ここには難しい問題が山積している。

まずシリアからの難民をこの後どうするのか、ということが重くのしかかっている。日々千人単位でギリシャ、スペイン、イタリア経由で難民(あるいは移民)がEUに流入してきている。この難民を助けるのは、人権という観点からも、「人間の安全保障」という観点からもどうしても必要だろう。またそれはEUの中核的な価値だし、国連の根本的な理念でもある。

それでドイツやイタリアを筆頭に、観念としては「難民を助ける」という方向がここ4年間続いている。しかし、難民と言っても、そこにはアフリカ諸国やアフガニスタンからの「移民」も混じっている。また、シリアやイラクからのテロリストも混じっている可能性がある。となると年間で100万人規模の難民や移民を受け入れるのかどうか、というのは困難になってくる。

そして、そもそも、この難民が生じたのには、チュニジアから始まった「アラブの春」があり、それを物心共に援助したのはEUやアメリカであった。そして実際に「アラブの春」で民主化が実現した、と思われた瞬間に、それらの国々は内戦に陥り(シリア、リビア)、何度かの選挙の末に軍事政権になったり(エジプト)、民主化はしてもテロが起きたり(チュニジア)というのが現状だろう。

現在は「アラブの砂嵐」という状態だ。地域によるが、アラブ圏の砂嵐はひどく、飛行機が欠航することもある。

今後の方向 One Step Ahead

今後、国際社会はどういう方向性を持ち、どのように行動して行けばいいのだろうか。理念から考えれば、出来うる限り国際社会が結束し、意見の相違を避け、共通点を見出す。そして邪悪な集団であるISISを撲滅することだろう。

少数の有志連合coalitionが、独自の現状解釈で空爆や後々地上軍を送ることは望ましくないどころか、逆効果でさえある。
というのも、それは「ある国家がテロ攻撃をされたら、それを戦闘行為と呼び、そして空爆を有志で行えばよい」という例を再び作ってしまうからだ。そうなると、国際社会は混沌としてくる。守られるべき規範を喪失するからである。

いったん規範がなくなれば、独裁国家や新興国は自らの好みに応じて振る舞うようになる。恣意的で身勝手な国際社会は、もはやコミュニティーとは呼べなくなり、国連などの国際機関は無力化される。軍事力や経済、資源がものをいう世界に突入する。

この70年間で培われてきた、世界的な平和志向や、各種NGOによる貧困や紛争の撲滅、そしてグローバル化によって起きた飢餓人口の半減、といった人類にとって望ましいもの。これが一夜とは言わなくても短期間で元に戻ってしまう状況は、ほとんどの人にとっては訪れて欲しい未来ではないだろう。

現実的に国連が動きにくい以上、イギリスや日本、ノルウェーなどが先導して、国際的な会議を行うというのが現実的であろう。テロ対策をグローバル社会で取るという決意を明示することだ。これができれば、中東やアフリカのテロに賛同する人はさらに減るだろう。「文明の衝突」や「宗教戦争」といった、アメリカの一部の政治家や学者の見方、またISISの世界観を否定する力がいまこそ必要だ。

「報復には報復しかない」という言葉では、ISISによるテロは止まらない。資金も人もいる集団だからだ。彼らの思考はイスラームにおけるジハード(聖戦)を異常に拡張しすぎている。そしてジハードからはみ出た単なる暴力集団化もしている。カルト集団と呼ぶべきかもしれない。日本の用語でいえば「セカイ系」の組織化だとも言えそうだ。そのことを念頭に入れながら対応すべきではないだろうか。

そして、いま最も苦しいのは、テロの被害者とその家族、シリア周辺の諸部族、難民たち、そしてほとんどのイスラーム教徒であろう。

(後で内容を増強、修正します)