映画『Ex Machina』とチューリング・テスト

チューリング・テスト

作家として有名なアレックス・ガーランド。日本でも小説『ビーチ』である程度話題になったことがあった。その彼がこの映画、『エクス・マキーナ』を撮った。劇場公開は2015年春(日本未公開、同名のアニメ作品とは関係はない)。

作家が映画を撮影すると、作品として成功しにくいケースがむしろ多いだろう。村上龍の映画は見所があるものけれど、小説の方が断然完成度が高い。他にもスティーヴン・キングの例があるが状況は似ている。

結果から書くと素晴らしい映画だと断言できる。TIME誌、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2015年映画ベスト10に入っているのも肯けるところ。

ガーランドが脚本を書き監督もしたのだが、テーマとしては昨年2015年から話題になることが特に増えた人口知能(AI)だ。いったい人工知能は人間になりうるだろうか? それを真正面から問う映画といえる。でも重たい映画ではなく、エンタテイメント性を保ちながら、緊張感があり編集のリズムがよい作品に仕上がっている。
(下記「ネタバレ」”spoiler”あり)

機械に心があるのか? この問いは、古来からあったものだ。道元は人間を作り上げようとしたし、『巨人ゴーレム』もこの系譜に位置づけられるだろう。多くの問題がこういう物語内では提起されるが、一番大きなものは「機械に心があるかどうかをどのように確かめるか」ということに尽きるだろう。

心は機能であり、心そのものを見ることはできない。では、心がある(=存在している)ことをどうやって確認するのだろう。その方法に関しては、最近亡くなったミンスキーから、物理学者のペンローズ(素粒子論的プロセスが脳で起きている)まで多様な考え方があった。この映画では、数学者アラン・チューリングの考え方を取り入れ、機械に心があるかを確かめることが物語のコアとされている。

チューリングとは、映画『イミテーション・ゲーム』でカンバーバッチが主役になったあの役に当たる人でもある。映画の中では巨大なコンピュータを考案し、また同性愛に苦しむ状況が描かれていたが、彼は「チューリング・テスト」と呼ばれる方法も提示している。

チューリング・テストとは、【人が相手を機械と知らずに充分に長い時間、機械と話した場合、相手が機械だと気づかなければ、それを「心があることとみなす」】というものである。心が実在するかどうか確認できないのであれば、心同様の働きがあればそれは心とするという見方だ。心の存在を問わない。そうではなく、心の存在を認めるのに、消極的な証拠さえあれば、「それを心としてよい」ということだろう。

この映画の中では、ある研究者がこのチューリング・テストを確かめようとする。そのプロセスが映画であり、主人公はそのために研究者の元に連れてこられる。
ここから先はストーリーに当たる部分なので書けないが、もう1度見たくなる濃密な映画だ。

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この映画の拡がり

この映画の素晴らしいところは、人間とAIの違いが「ない」ことを、伝えているところである。「ペッパーくん」が充分に知能を持てば、人間との差は見かけだけになる。そして「ペッパーくん」が人間の形状に乗れば、もはや人間と区別がつかなくなる。
この点については、シンギュラリティーの議論になるのでいまは立ち入れないが、しかし、問題は極めて深く、また深刻である。

ここで問われるのは、「人間とは何か?」ということではなくて、「人間は途轍もないものを作ってしまっているのではないか」ということだ。

キャスティングも優れている。マッチョな神経生理研究者、クジに当たった主人公、そして女性たち、それぞれ、有名な俳優ではないが適材だ。

そういえば、ヴィトゲンシュタインの「青い本」というタイトルが、AI研究所の名前になっている。The Blue Bookである。「意味とは何か」からはじまる講義録で(『青色本』、大森荘蔵訳、ちくま学芸文庫)ヴィトゲンシュタインの本としては例外的に読みやすい。わかりやすいとは言えないが、読むことはできる。これはヴィトゲンシュタイン的な意味論が、心に関係しているだろうというガーランド監督からのメッセージかもしれない。

山深いところにある研究所は、ペーター・ツムトール(ペーター・ズントー)が設計したかのようなアウトテリアであり、インテリアは、シャープな印象を持たせる。そしてどこにでも監視カメラが据えつけられている。
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ペーター・ズントーの建築(スイス、1986)

この映画は、『惑星ソラリス』『ガタカ』の流れに属していると言えるだろう。前者では、人類の精神を反映し、物質化する宇宙人を扱い、後者では遺伝子治療の問題をSFの中で描いていた。「予告編」は『ガタカ』。イーサン・ホークの出世作。

映画史上もっとも古く、すでにアンドロイドに操られる問題を、階級闘争に入れ込んだ作品がフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』だ。
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映画『メトロポリス』より

また『攻殻機動隊』で、この心の問題は「魂=ゴースト」と名付けられ、単なる心的な機能と、人間が持つゴーストを区別している。新劇場版ではこの問題はほとんど扱われていない。
下記は映画のオープニング部分。日本語。


「心の存在」という表現するのが困難なテーマでブレイクスルーを起こした、そういう映画がこの『エクス・マキーナ』である。「女性が活躍する」のも示唆的だ。

人類はこの人工知能の問題をどうするのか、まず考えられるのは、人工知能、AIの研究に規制をかけることかもしれない。科学が人類を危機に陥れるとき、人は科学研究を規制する。クローン研究がそのもっともいい例だ。

『Ex Machina エクス・マキーナ』予告編


★★★★★

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投稿者:

crow tanaka

国際政治アナリスト(都市政策) 音楽社会学 上智大学非常勤講師

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