ギリシャ危機2015  Beginning of Policing by US and Greek Debts

ギリシャの債務をめぐるいつ果てるともない話し合いが続いていたが、いったん決着がついたようだ。
ギリシャははたしてユーロから離脱するのか。離脱して、独自のIOUのような通貨を使い、しかしその通貨は信用されず、ハイパーインフレになるのか。物価はジンバブエ並みに高騰し、ギリシャは混乱、左翼政権が生まれてゆくのか。そして結局はEUから離脱。こういう可能性はいったんはなくなったのだろう。

さて、ここで「ギリシャの財政問題」が国際社会の大きな転機になった例を挙げてみたいと思う。同時になぜギリシャが話題になるのかということも考えてみたい。

まず、ギリシャは第2次世界大戦の際、1940年秋にイタリア軍に攻め込まれている。ときのベニート・ムッソリーニは、ヒトラーのナチス・ドイツが快進撃をし、ヨーロッパ地図を自分の国家の色に塗り替えてゆくのを見た。そのことに強烈な劣等感を抱いたとされる。そこでイタリア軍は旧式な軍隊にもかかわらず、バルカン半島を我が物にしようと試み、海軍を中心にギリシャを攻撃した。

予想に反し、ギリシャ軍は果敢に反撃、この地の戦闘は長期化の兆しをみせた。そこでナチスはソ連の攻撃を遅らせ、ギリシャにドイツ軍を派遣する。ドイツのソ連への攻撃が遅れたことが、「バルバロッサの戦い」の結果に影響したと考えられる。同盟軍イタリアが色気と嫉妬でギリシャを攻めなければ、ドイツはモスクワを手にしていたかもしれない。

ドイツ軍の強力さはいかんともし難く、ギリシャ軍は降伏する。現在のギリシャでは、このときのナチスへのレジスタンスは語り草であり、いまでも高齢者の間のプライドの源泉になっている。ここにギリシャとドイツの関係がある。(この点は、今回の債務交渉の際に話題になった)。

さて、ナチスドイツが敗北を帰し、国土が瓦礫となったときに、残ったもの、それはドイツの負債である。1938年のドイツのGDP換算で約300%の負債。はてしてこれはどうなったか。アメリカが国務長官マーシャルによるいわゆる「マーシャル・プラン」によって、補填されたのだ。そして駐留米軍は、新しい通貨をドイツ・マルクDeutsche Markとシンプルに名付け流通させた(The Economist、Albrecht Ritschl, Jun 15th 2012参照 )。アメリカとしては、市場としてのドイツがいちはやく経済的に立ち直ることを望んだといえるし、共産化しないようにという予防の意味もあった。

ここに、ドイツ、ギリシャ、イタリア、アメリカ間の複雑な関係がある。

というのは、この直前の1947年2月、アメリカではこんなことがあったのだ。

米アチソン国務長官は、駐米イギリス大使アーチボルト・カーより書状を受け取る。
戦後ギリシャは「財政破綻状態」で、共産主義反政府勢力と内戦状態にあり、イギリスはギリシャ政府側を支援していた。ギリシャ政府はイギリスに対してすでに2億5,000万ドルの緊急支援を求めていた。そして支援額はこれからさらに膨らむのは明らかだった。

ギリシャがソ連によって社会主義化するのを防ぐ、そういう役割がイギリスにはあった。しかし、イギリスには財政的な余裕がなく、そこで「アメリカにギリシャ(それにトルコも)の支援を引き継いで欲しい」そういう書状だったのだ。

WWIIで、イギリスはドイツとの戦いに国富の1/4を使い、対外債務は120億ドルにまで膨張していた。そこでアトリー労働党内閣は、「国民の税金をギリシャにちびちびと与え続けるのはやめる」べきだと主張した。

それまで孤立主義を取っていたアメリカは、この英国の提案をきっかけにして、対外的に「武装勢力や外国による征服の試みに抵抗する自由な人々を支援する」方針が生まれる。これがトルーマン・ドクトリンである。世界の警察的な役割をアメリカが持ち、イギリスから「覇権」的な位置を引き継いだのはまさにこのときである。(ブレット・スティーヴンス『衰退するアメリカと「無秩序」の世紀』参照)

このあたりのギリシャの独立と社会主義化については、ギリシャを代表する映画監督テオ・アンゲロプロスの映画『旅芸人の記録』をみるとよくわかる。これは予告編なので一部だが、ギリシャ内戦の状況が伺える。

さて、現在のギリシャ危機と、1947年のイギリスからアメリカへと覇権が動くきっかけになったのがギリシャであるというのは偶然なのだろうか? あまりそうとも言えないだろう。英仏独といったヨーロッパの中核的な国家から見ると、バルカン半島からトルコは、欧州の辺境であり、また「オリエント」「中近東」と接する地域でもある。そしてそのすぐ向こうにはロシアやイスラーム圏が広がる。

イギリス、そして後のアメリカからすれば、このバルカン半島を影響下に置くのは「辺境」だからこそきわめて重要なことだろう。第1次世界大戦も、よく知られているようにバルカン半島、セルビアの暗殺事件からドミノ効果的に世界へと波及していった。
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(画像は、ギリシャのレジスタンスによるドイツ軍支配下の橋梁破壊写真。アテネ、軍事博物館、撮影は筆者)

このようにギリシャとイギリス、アメリカ、ヨーロッパの関係を回顧してみると、どうしてギリシャが軸になって議論が進むかがわかってくる。ギリシャなのだ。スペインでも、ポルトガルでもない。
今回のギリシャ危機は2011年からほぼ4年をかけて、一応の解決をみた。それはこのギリシャに、ギリシャ以外の国家や地域が絶大な関心があるからだ。だからギリシャからすれば交渉のしがいがあり、交渉は長引き、合意を見たと思うとそれはあっさり覆され、趣旨がわからない国民投票を行う。そして今日を迎えたのだ。

ギリシャといえば、古代ギリシャ悲劇が有名だ。これはギリシャ喜劇とセットで上演されるものだった。今回の「トロイカ」とギリシャ政府の交渉は真剣なものだったが、一方でどこかコミカルな演劇を見せられているような印象を多くの人がもっただろう。それはこれが悲劇だからだ。歴史はこのようにして繰り返す。
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(アテネ、シンタグマ広場。幾多の政治的な闘争の場になった。そして今回も)

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投稿者:

crow tanaka

国際政治アナリスト(都市政策) 音楽社会学 上智大学非常勤講師

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